山里の記憶
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やたら漬け:山中順子(まさこ)さん
2017. 11. 30
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十一月三十日、奥秩父・上中尾に漬物の取材に行った。取材したのは山中順子(まさこ
)さん(八十五歳)だった。今回の取材には二年ほど時間がかかった。料理名人の順子さ
んを紹介してもらったのが二年前だった。その後何度か連絡を取り合ったのだが、なかな
か時間の折り合いが付かず、やっと今日取材することが出来た。
順子さん本人が命名した「やたら漬け」は作るのに時間のかかる漬物で、どのタイミン
グで取材したらいいか迷うものだった。何度か相談して今日の「本漬け」を取材すること
になった次第。
約束の時間に伺うとすぐに階下の作業場へ案内された。順子さん自慢の漬物がズラリと
並ぶ漬物蔵を見せてもらう。大きな漬物樽が並び、順子さんがひとつひとつ開けて説明し
てくれた。大根の麹漬けはトウガラシと昆布が一緒に漬け込まれている。大根の醤油漬け
は醤油と酢、みりん、砂糖を使って漬け込んだほんのり甘い漬物。わらびの塩漬けは塩抜
きして食べる山菜料理。白菜は鰹出汁を効かせた塩漬け。漬け物用のミニ白菜を栽培して
使っている。芯まで黄色い白菜で色が実に美しい。ミョウガはラッキョウ酢で漬け込んで
ある。爽やかな酸味が特徴だ。沢庵の味噌漬けは古くなった沢庵を味噌で漬けたもの。奈
良漬けのような色で味も濃い。お弁当のおかずに良いとのこと。
他にもビンの梅漬け、カリン酒、梅酒がずらりと並んでいた。足もとの樽にはつい先日
作ったという手作りコンニャクのブロックが水に泳いでいた。すごい種類と量の食べ物が
並ぶ、まるでスローフードの展示場のような漬物蔵だった。
さまざまな漬物や果実酒が並んでいる順子さんの漬物蔵。
作業場は広い駐車場。奥秩父の山波が背景に広がっている。
漬物蔵から順子さんが一つの樽を運び出した。「これがやたら漬けの元なんだぃね」と
作業場に運ぶ。樽の中には小さく刻まれた多種類の野菜の漬物が入っていた。その中身は
キュウリ、ナス、ニンジン、大根、ゴボウ、ショウガ、ミョウガ、青紫蘇の実、レンコン
の漬物が一口大に切られたものだった。
順子さんに「やたら漬け」の名前について聞いてみた。順子さんが自分でつけた名前だ
そうで、何でもかんでもやたら漬け込むから「やたら漬け」とのこと。本人がそう言って
いるのでこの漬物は「やたら漬け」という事にして取材を進める。やたらに漬け込むから
という事だが、毎年いろいろ変化させて味付けを工夫している。だから出来上がる漬物は
毎年少しずつ違う。「おいしく出来ればいいんだぃね」と笑う順子さん。
レンコン以外は全て順子さんが自分の畑で栽培したものを使っている。夏に収穫したキ
ュウリやナスなどをそれぞれ別々に塩漬けにする。アクの出方が違うので一緒に漬けず野
菜毎に別々に漬ける。それぞれを漬け込んで味を熟成させておくこと二ヶ月。
十月十一日に漬け込んだ野菜を樽から取りだし、呼び塩をして塩出しする。塩出しは流
れ水で完全にしないと後味が悪くなる。塩出しした漬物は陰干しして乾燥させる。そして
乾燥したら全部一口大に刻む。これが大変な作業で、刻み終わった材料は全部で八キロに
もなるという。刻み終わった材料をまとめて薄い塩味で一つの樽に漬け込み、十一月の本
漬けまで漬物蔵で保存する。ここまでが前段階の作業と聞くと、何と手間のかかる漬物か
と驚かされる。
そして今日の本漬け。漬け汁を作り樽の素材と合わせて漬け込む。漬け汁は醤油一本一
リットル、白砂糖五百グラム、黒砂糖五百グラム、みりん三百ミリリットル、酢五百ミリ
リットルを一緒に煮詰めて冷ましたものが鍋に入っていた。
樽に漬け込んだ野菜をしょうぎに上げ、水を切る。しばらく水切りして樽に材料を入れ
そこに漬け汁を注ぎ入れる。順子さんが上から両手で押すと、じんわりと漬け汁が上がっ
てくる。「ほら、いい感じでしょ」と順子さんがにっこり笑い、塩昆布を一袋分上にばら
まく。「塩昆布は上に撒くだけでいいの。旨味が上から全体に回るから…」
そして高級ブランデーを手に当てて全体に振りかける。「前は焼酎でやってたんだけど
去年からブランデーに変えたらカビが出なくなったの…」ブランデーは殺菌作用が大きい
ようで去年のやたら漬けは黴びなかった。最近は冬が暖かいので黴びる漬物が多くなって
きたが、このブランデーのお陰で去年のやたら漬けは旨い漬物になった。
これが本漬けで、樽に漬け込んで軽い重石をしておく。これで八キロのやたら漬けが出
来上がる。漬け込んで五日後には食べられるようになるとのこと。正月から冬の間食べ続
けるほか、多くは知人への贈り物になる。
もう二十年くらい作り続けているやたら漬けだが、毎年少しずつ変えている。中に入れ
る野菜も味付けも少しずつ変えて味が良くなるように工夫しているとのこと。
自分の畑の野菜で半年かけて作る漬物。そのスローフード作りの工夫が素晴らしい。
樽に入ってる材料の漬物と本漬けの漬け汁が入っている鍋。
水切りして漬け汁を注ぎ、本漬けの漬け込みが出来た。
やたら漬けの取材が終わってからも順子さんの料理話は続いた。これから鮭の粕漬けを
作るという。正月用に仕込むのですぐに食べられるものでないのが残念だった。
漬物蔵の樽に入っていた手作りコンニャクを使った料理を二品作ったので食べてみない
かと誘われ、家に向かう。
居間にいたご主人の要三郎さん(八十五歳)に挨拶をしていろいろ話す。要三郎さんは
大滝村の村会議員を十年やった人で、村の話や昔の話に花が咲いた。要三郎さんと話して
いる間に順子さんが次から次にお茶請けの料理を出してくれた。その数が凄かった。
手作りコンニャクを使って作った白和えと煮物。白和えはゴマを擂り、豆腐を絞って加
え、砂糖と塩で味付けしたもの。煮物はゴボウとコンニャクを煮たもの。ゴボウを茹でて
コンニャクと合わせる。七味を少し加えて大人の味にした。順子さんはコンニャクはゴボ
ウと相性がいいという。
キュウリの浅漬けは味の素が振りかけてあって、パクパクと食べられる爽やかな味だっ
た。ゴーヤの佃煮はゴーヤを砂糖、だし汁、味噌で煮汁がなくなるまで煮詰めたもの。キ
ュウリの佃煮は爽やかな甘さでくらでも食べられる。お粥には最高のおかずだと思う。
キャラブキも薄味でいくらでも食べられる味。栗の甘露煮は正月の栗きんとんや赤飯に
入れると喜ばれるとのこと。五月に作ったつとっこ(栃の葉で餅米を巻いて茹でた秩父の
郷土料理」もたくさん出てきた。つとっこは一回で二百個も作るという。
どれも素朴で旨かった。料理名人と言われている順子さんの実力を実感したお茶請けば
かりだった。どんな料理も来た人に惜しげもなく配ってしまうのだという。「だからタッ
パーがすぐになくなっちゃうのよ」と笑っている。
じつに様々なお茶請けが次々に出てきた。料理名人の面目躍如。
お茶をいただきながら二人の話をいろいろ聞かせてもらった。
要三郎さんとは昔の話に花が咲いた。昔は山仕事、畑仕事が中心で朝早くから夜遅くま
で働いたという。養蚕はどこの家でもやった。二階は全部お蚕様の部屋だった。時代が過
ぎて養蚕をする事がなくなると、桑畑の桑を抜いてコンニャク畑にした。コンニャク栽培
に関しては遠く群馬や両神に勉強しに行ったという。
六十三歳の時から七十三歳まで大滝村の村会議員をやった。大滝村が秩父市と合併した
時に議員を辞めた。もう八年前のことになるが、合併して大滝に良いことはなかったと言
う。大滝らしさが徐々になくなりさみしいものだとつぶやく。
そんな要三郎さんだが三年前の五月、運転中に脳梗塞を発症した。運転中だったがよく
無事だったとその時を思い出す。順子さんはその時のショックで耳が聞こえなくなったと
いう。すぐに秩父病院に入院して治療したおかげで、今はリハビリに励む日々を送ってい
る。こうして話していても不自由な感じはしないし、リハビリも順調なのだろう。
老夫婦二人暮らしの家には診療所の先生が来たり、ディサービスの人も来るし、歯医者
さんも来る。来る人には順子さんが作った料理がお土産になる。診療所の先生は順子さん
の出すお茶請けが大好きで「旨い旨い」と食べてくれる。
順子さんは今でも料理の本を見ながら色々勉強している。雁坂トンネルが開通する時に
大滝の特産品を作る活動があった。料理上手で知られた順子さんもメンバーに選ばれ、遠
く熊本まで特産品の勉強に行ったという。今では懐かしい思い出だ。
取材が終わり、上中尾の琴平神社と吉備神社に参拝して栃本を回って帰路に着く。久し
振りの栃本はもう冬の風情だった。相変わらず栃本関所前からの風景は美しい。
秩父の紅葉は終わりに近づいていて、集落はそろそろ冬支度に入る。正月や長い冬に向
かって漬物が活躍する時期になった。順子さんの漬物蔵にはたくさんの漬物が食べる人が
来るのを待っている。