山里の記憶212


えびし:酒井佐恵子さん



2018. 02. 17


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 二月十七日、小鹿野町藤倉・倉尾地区に「えびし」の取材に行った。取材したのは馬上
(もうえ)耕地の酒井佐恵子さん(七十六歳)で、昔ながらの郷土食に自分流の工夫を加
えたえびしを作っていただいた。                         
 えびしは上吉田から小鹿野町の倉尾地区で作られてきた郷土食だ。十種類以上の材料を
小麦粉に混ぜ、お酒と醤油で練って三十分間ほど蒸かすもの。材料や調味料に各家庭の特
色と工夫があり、名人と言われる人のえびしは本当に旨い。             
 たらし焼きと違って材料が高価なので販売に向くものではなく、売られている事は少な
い。昔は結婚式の膳部を飾る口取りのひと品だった。家でご祝儀を挙げていた時の名残の
料理だ。元々は兵糧として作られたもので、戦国時代から作られていたという説もある。

 佐恵子さんの作るえびしの材料は、小麦粉一キログラム、くるみ百二十グラム、ショウ
ガ五十グラム、ニンジン五十グラム、ミカンの皮二個分、ゴマ大さじ四杯、七味トウガラ
シ小さじ二杯、干しぶどう一袋、焼きピーナツ百グラム、辛味ゴマ大さじ四杯、顆粒だし
大さじ一杯をまんべんなく混ぜる。材料は全てみじん切りにしておく。        
 ミカンの皮は風布(ふっぷ)のミカンを使う。今の時期になると皮が苦くなく旨くなる
という。細かい干しぶどうをたくさん加えるのも佐恵子さん流だ。「子供らに食べさせる
のにこの方がいいと思うんだぃね」という。勝沼で買って来たものだそう。      
 調味料は、酒二カップ、醤油一カップ、砂糖百グラム、酢少々を合わせたもの。これで
生地を練り込む。くるみは手で荒く割り、焼きピーナツはそのまま練り込む。     

10種類以上の材料と調味料を大きなボウルに入れてこねる。 15分くらいこねると生地が出来上がる。これを16等分する。

 大きなボウルに全ての材料と調味料を入れて混ぜ、練り込むと醤油のいい香りが立って
くる。佐恵子さんは両手でしっかり粘りが出るまでこねる。時間にして十五分くらいしっ
かりこねて生地が出来上がる。カランコロンとクルミやピーナツがボウルに落ちる音が響
くが、こねるうちに音がしなくなる。生地に粘りが出て、くるみやピーナツが同化した状
態になってきた。オレンジ色に様々な色の具がちりばめられた生地が出来上がった。  
 大きな固まりになった生地を包丁で十六等分に切り分ける。ひとつひとつの生地を棒状
に伸ばし、木の葉状に成型する。器にくっつかないように小麦粉を振りながら並べる。 

 蒸し器の湯が沸いたので成型したえびしを中に入れる。湯布の上にくっつかないように
並べる。昔はひとつひとつ布で包んで蒸かしたという。その昔は竹の皮に包んで蒸かした
らしい。かぞがら棒(楮の皮をむいて乾燥させた棒のこと)や篠竹で花形になるように縛
って蒸かしたこともある。きれいに成型するのは難しい技だった。竹や棒を油で塗ってお
かないとくっついてしまい形にならなかった。きれいな花形になったえびしは口取りのひ
と品として人気だった。                             

 佐恵子さんは旧家の一人娘だった。乳母日傘で育てられたのかと思いきや「年寄りがい
っぺえいて、色々教え込まされた」という。由緒ある家のことやしきたりのこと。それは
それは煩わしかったそうだ。「もう全部抜けたけどね」と笑う。           
 おばあちゃんが佐恵子さんにえびしの作り方を教えてくれた。おばあちゃんの時代には
酒などは使わず醤油だけでこねたから、真っ黒でしょっぱいものだったという。とみさん
というおばあちゃんは蒸し上がったえびしを見て「べっとこしゃあ(カエルのこと)みて
えだ」なんて言ってた。焦げ茶色のぺとぺとした外観がそんな感じに見えたのだろう。 
 小麦粉を一キロも使うのに、強くこねるから量が減ってしまう。「うどんにすればえれ
えいっぺえうどんが出来るんにねえ…って言ってたんだよ」昔の食料事情からするとえび
しはすごい贅沢品だった。                            

成型した生地を蒸し器に並べて入れる。30分蒸せば出来上がる。 蒸し器の蓋をして作業が一段落した佐恵子さん。

 昔は水車で小麦粉を挽いていた。水車は使える日が決まっていて、その日に合わせて様
々な粉挽きをした。もろこし粉を挽いて作ったまんじゅうも食べた。中に焼いた目刺しの
入ったもろこしまんじゅうは囲炉裏の灰で焼いて食べたが、すごくまずかった。    
 母親のご祝儀(婚礼)も佐恵子さんのご祝儀も自宅でやった。正確には迎えに行く先の
家でもやったから二回のご祝儀をやったことになる。自宅でのご祝儀には必ず口取りとし
てえびしが出された。                              
 ご祝儀の料理にはかぼちゃ、里芋、こんにゃく、人参、牛蒡の煮物、海苔寿司、羊羹な
どと一緒に必ずえびしの皿があった。日持ちが良く、栄養満点で保存食でもあった。  
 佐恵子さんの家は、その昔日尾城の殿様が住んでいた家だという。今でも蔵にはたくさ
んのお膳や食器が保管されている。「もう使うこたぁねえやぃね…」自宅でご祝儀を開い
ていた頃の名残だ。四十人分以上のお膳やおひらや漆のお椀が揃っている。「こういう物
を使うのも私で最後になるんだろうねぇ…」と寂しそうだ。             

 なぜえびしがこの地区だけで作られてきた郷土食なのかを考えてみた。この馬上(もう
え)地区はその昔、日尾城(ひおじょう)の館群があった場所だ。馬上耕地の中にも地名
がある。下流から下組・殿谷戸(とのがいと)・田畑組・上(かさ)組と呼ぶ。佐恵子さ
んの家がある場所は殿谷戸で、殿様が住んでいた。家の屋号は「隠居屋」といい、倉尾中
で誰でも知っている家だった。                          
 合角(かっかく)ダムのある場所の上流の根古屋は、日尾城の馬場や侍屋敷があった場
所だ。日尾城の侍たちが暮らしていた場所とえびしの作られている場所が重なるのは偶然
だろうか。兵糧として作られていたえびしが一般の家庭に伝播していったのではないか。
高価な材料を使う祝いの膳に口取りとしてその名残が残ったのではないだろうか。そんな
事を考えながら佐恵子さんの先祖の話を聞いていた。                

 先祖の話で驚いたことがある。江戸末期のことだ。酒井右駒という人物がいた。酒井菊
次郎・くみの六男で、甲源一刀流と馬庭念流の達人だった。思う事あって一念発起して江
戸に旅だった。ちょんまげに大刀を差し、大きな志を胸に旗本お抱えの侍になった。徳川
幕府瓦解の時代だった。右駒は上野彰義隊に加わり、官軍との戦闘で負傷し、若い命を終
えた。一念を通し、武士道に殉じた人生。享年二十七歳という若さだった。小鹿野町誌に
も載っており、石碑も建っている。幕末の一大事件の戦闘に、志高き若き武人が小鹿野か
ら参加していたことを初めて知った。                       

 昼前に蒸し上がったえびしが冷めるのを待って薄く切る。ほの温かいえびしを口に運び
頬張ると、生地の甘さがくる。歯触りはもっちりとやわらかい。噛むと大きなクルミやピ
ーナツが良い噛みごたえを感じさせる。ほんのりピリ辛が漂ってくるのは辛味ゴマの味だ
ろうか。噛むうちに干しぶどうの甘さが絶妙に立ち上がる。複雑な味がひとつにまとまり
立派なお茶請け、酒の肴が出来上がった。                     
 えびしは郷土食として有名だが作る人は少なくなっている。今はごちそうがちまたにあ
ふれているので、この郷土のごちそうも影が薄い。昔の食料事情を考えると、とてつもな
いごちそうなのだが、それが伝わらないのがもどかしい。              

8年前、小学校に呼ばれえびし作りの実演をした。3年生の授業だった。 出来上がったえびしを食べる生徒たちと佐恵子さん。

 八年前、小学校の依頼で佐恵子さんはえびし作りを教室で実演したことがある。三年生
の九人が対象だった。佐恵子さんの他にも手打ちうどんやつみっこを作った人もいた。郷
土食をみんなで作って食べようという授業だった。                 
 材料を全部下準備して決められた時間で作り、食べるところまでやった。「子供たちが
よく手伝ってくれてねえ」「みなちゃんが本当に気が付く子で、先へ先へって手を貸して
くれたんだぃね」「楽しかったいね」と、写真を見ながら目を細める。        
 八年前といえば、その子供たちはもう高校二年生になっている。佐恵子さんが伝えた郷
土食えびしの味は参加した九人の記憶にはっきりと残っているはずだ。        

 佐恵子さんは山の上の畑で白菜や大根を作り、今でも直売場に出荷している。学校給食
に二百キロ以上の玉ねぎを売ったこともある。老人ホームには白菜を出した。五百メート
ルも山に登った場所にある畑だが「いい土なんだよ」と自慢する。四角っ畑と呼ばれてい
る土の良い畑だ。「今は息子が手伝ってくれるからやってるけどねえ」足腰が不安になっ
た今は昔のように畑仕事も出来なくなりそうだ。二十キロもある肥料を背負って運ぶだけ
で「体がガタガタになっちゃうんだよ」と笑う。「肥料だけ運んでくれりゃ、さく切りや
種まきは簡単なんだけどねえ…」と楽しそうだ。                  
 立派な白菜をお土産にいただき、まだほの温かいえびしを持って帰路についた。佐恵子
さんの味がいつまでも残ってほしいものだと思った。