山里の記憶
213
こんにゃく:根岸左喜子さん
2018. 03. 03
絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。
三月三日、小鹿野町の倉尾地区・馬上(もうえ)に手作りこんにゃくの取材に行った。
取材したのは根岸左喜子さん(八十六歳)だった。春のような暖かい日で、約束の時間に
伺うと玄関先で満開の福寿草が迎えてくれた。
炬燵でお茶を飲みながらいろいろな話をする。料理上手で有名な左喜子さん、様々なお
茶請けを出して勧めてくれた。煮物、しゃくし菜の油炒め、柚子の甘煮、巻き寿司、いな
り寿司などが出て、どれも旨かった。煮物の中にこんにゃくがあり、それを食べてみた。
心地よい歯ごたえ、薄味でじつに旨い。これが左喜子さんの手作りこんにゃくだ。
こんにゃく作りは慣れた作業だということで、生芋の皮を剥くところから取材が始まっ
たのだが、その手際の良さに驚かされた。ピーラー、ナイフ、金タワシを駆使して、あっ
という間に生芋の皮が剥かれた。「せっかく育ったもんなんで削り過ぎないようにするん
だぃね…」と左喜子さん。芋はアカギオオダマの四年物。すでに皮を剥いてある二個と合
わせて三キロの重さになる。一回で三キロの生芋が左喜子さんのこんにゃく作りの基本に
なっている。素手で作業しているのを心配して、手が痒くならないのかと聞くと、水を流
しながら皮を剥けば痒くないとのこと。
手拭いを使った帽子作りの折り方を見せてくれたる左喜子さん。
四年物のアカギオオダマの皮を剥く。芽の周りは厚く切り取る。
作業しながらいろいろ話を聞かせてくれた。こんにゃくは人によって作り方が違う。小
さく切ってミキサーにかける人もいるし、石灰だけでアクを作る人もいる。皮をきれいに
取らないとカスが入ったり色味が悪くなる。
「こんにゃくを作るんは簡単だけど、皮を削るんが大変なんだぃ…」「長野じゃあ冬至に
こんにゃくを食べるんだぃね、上吉田の住職さんが長野の人で、毎年六十キロ作って送る
んだぃね」「他からも頼まれるから暮れは忙しいやぃね」「こんにゃく芋がなけりゃ作ら
なくていいだんべぇって今年から作らなくしたんだぃね…」「他から頼まれると相手に合
わせてちょうきゅうに(きちんと)作んなきゃあだかんねぇ、大変なんだぃ…」次から次
に様々な話がひとり言のように出てくる。
皮を剥いた芋を一センチ厚にスライスし、さいの目に切る。あっという間にボウル一杯
のサイコロ芋が出来た。一回でお椀二杯分の芋を入れてお湯と一緒にミキサーにかける。
水ではなくお湯を使うことでその後の煮詰めが早くなるとのこと。粒が少し残る程度の粗
さにするのがコツだという。約二分間ミキサーを回して止める。
部屋の中央に薪ストーブが置かれ、火が赤々と燃えている。横に置いてある大鍋にミキ
サーにかけたこんにゃく液が注がれる。三キロのサイコロ芋はあっという間に液状になっ
て大鍋に納まり、そのままストーブに乗せられた。「お湯でやってるからすぐ茹で上がる
んだぃね…」と左喜子さん。「昔はここが囲炉裏だったんだぃね、みんなが集まるのが囲
炉裏のいいとこだったぃねぇ…」囲炉裏がなくなって色々なものがなくなった。
生芋をスライスしてさいの目に切る。みるみるボウル一杯になる。
両手で力一杯大鍋のこんにゃくをかき混ぜる。力のいる作業だ。
大鍋に入ったこんにゃく液を大きなしゃもじを使い、両手でかき回す。火が入るとすぐ
に固くなるので、忙しく体力を使う作業だ。八十六歳とは思えない力強さでしゃもじを使
う左喜子さん。大鍋のこんにゃく液はみるみる固さを増してきた。「指を突っ込んで熱い
ようなら大丈夫だぃね…」と鍋に指を差して温度を確認する。
固まったら火から鍋を下ろし、食用石灰とソーダで作ったアクを加える。左喜子さんの
場合、三キロの生芋に対して水五、四リットル、ソーダ六グラム、食用石灰十二グラムで
アクを作る。水の量は芋の状態で変わる。この時、容器に残った白く沈殿したものは捨て
る。液体だけを使うのがポイントで、これがアク合わせだ。
すぐに全体にアクが回るように素早くかき回す。大きな泡立て器を両手でぐるぐる回し
てかき回す。これも体力を使う作業だ。全体を均等に混ぜないと後でえぐいところが出来
る。「めったずるずるしてると固くなるんで、手早くやるんだぃね…」最後はしゃもじで
全体を練り上げる。「これが大変なんだい、粒がなくなればいいんだぃね」
アク合わせをするとすぐにこんにゃくは固まる。練ったこんにゃくを大鍋から箱型に流
し込み、両手で空気を抜くように押しつけながら表面を平らにならす。ここまでの作業が
じつに手早かった。また、段取りが良く、流れるように作業が進むのが気持ち良かった。
体の動きと道具の配置に無駄がなく、動作が流れるようだった。何度も何度もやってい
る作業だからこれだけ無駄の無い動きになっているのだろう。きびきびした動きはとても
八十六歳には見えない力強いものだった。
道具を片付けているうちに箱型のこんにゃくが固まった。箱型の目印に合わせて定規と
ナイフでこんにゃくに切り込みを入れる。ナイフは直角にまっすぐ入れる。三キロの生芋
から十五丁のこんにゃくが出来る。「乾いたコンニャクだと十七丁出来るんだけど、生芋
だと十五丁だぃね…」乾燥コンニャクの方が膨らみが大きくなる。
ストーブの大鍋には湯が沸いていて、そこに切ったこんにゃくをひとつひとつ丁寧に入
れる。このまま一時間茹でればこんにゃくの出来上がりだ。「めった煮ると固くなっちゃ
って旨くねぇんだぃ…」
左喜子さんは大鍋の湯を1リットルほどすくい、ソーダ八グラムを加えて別にアクを作
る。これは、こんにゃくを袋詰めする際に一緒に充填するためのもの。このアクで袋詰め
したこんにゃくは長持ちする。十五日くらいは味が変わらず保存できるとのこと。左喜子
さんの冷蔵庫にはこうして作った袋入りのこんにゃくがいっぱい入っていた。
大鍋でこんにゃくを茹でている間に時間があったので炬燵でお茶を飲みながら昔の話を
聞いた。左喜子さんは馬上の生まれだ。同じ耕地の中で嫁に出たことになる。二十二歳の
時に縁があって三つ上の根岸峰一郎さんに嫁いだ。嫁に来たとき、この家には小姑が三人
いた。三人とも分家させたが、それまでが大変だったという。
畑仕事が忙しかった。お蚕は一年やっただけで止めたが、こんにゃく作りが主な仕事に
なった。こんにゃく作りは畑を借りてまでやっていた。高い場所にある畑に肥料を運んだ
り、収穫物を背負い下ろしたりするのが大変だった。椎茸栽培やしめじ栽培もやった。し
めじ栽培は小屋を建ててビンで栽培するものだった。
左喜子さんが一番大変だったのは牛飼いだった。多い時で十頭の乳牛を飼っていた。牧
草地を作り、リヤカーを引いて、毎日山の畑から二回牧草の束を背負い下ろした。毎日の
餌の草刈りも大変だったが、何より牛の糞を捨てるのが大変な仕事だった。捨てる場所は
山上の畑しかなく、そこまで糞を運ぶのが本当に大変だった。
乳しぼりは怖くて出来ず、峰一郎さんの仕事だった。何度か手伝おうとしてみたのだが
怖くて出来なかった。「まったく牛が足なんかあげるから怖くてねぇ…」後に搾乳機を買
って搾乳するようになったが、左喜子さんはどうしても搾乳が出来なかったという。
この当時は本当に朝から晩まで働いていた。朝っぱかに草刈り、よおっぱかにきのこ採
り、家に帰る暇もなかった。そんな時に娘から言われた「あたしはかあちゃんの顔を見ね
えで育ったんよ…」という言葉は忘れたことがない。
大鍋のこんにゃくが茹で上がった。茹で上がったこんにゃくは冷ましてひとつずつビニ
ール袋に入れ、先程作ったアクを充填して熱線でシール密封する。一回で十五個のこんに
ゃくが出来上がり、冷蔵庫で保管される。
出来上がったこんにゃくをひとつ持ち出した左喜子さん。まな板の上で切り分け、鍋に
少量の水と切ったこんにゃくを入れてこんにゃくの煮物を作りはじめた。味付けは酒と少
量の油とだしの素だけ。醤油や砂糖を使うと味が濃くなりすぎるとのこと。
こんにゃくを煮る大鍋から湯を取り、充填用のアクを作る。
左喜子さんの手打ちうどんで昼食。マシも薬味もたっぷりだった。
左喜子さんは料理上手な人だ。炬燵の上にはお茶請けにたくさんの料理が出されて、ど
れも旨かった。お昼だから「食べていきない…」とザルにいっぱいの手打ちうどんが出さ
れた。マシのほうれん草やクルミ、ネギ、ミカンの皮の薬味付きだ。
こんにゃくの煮物は薄味でやわらかく、歯ごたえがあってとても旨かった。何個でも食
べられそうな味だった。うどんを食べ、こんにゃくの煮物を食べ、おなかいっぱいになっ
てしまった。たぶん三キロくらい体重が増えたような気がする。
昔の話は懐かしかったし、楽しかった。長く一緒に暮らしてきたご主人の峰一郎さんは
二年前に他界した。左喜子さんは一年以上泣いて暮らしていたそうだ。今は弟や娘や孫の
為に、こんにゃくや料理を作るのを楽しみにしている。