山里の記憶
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よこぜ紅茶:浅見文昭さん
2018. 07. 11
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七月十一日、朝六時に家を出て秩父の芦ヶ久保まで紅茶の取材に行った。取材したのは
浅見文昭さん(七十八歳)で、紅茶が出来るまでを取材させていただいた。よこぜ紅茶と
して人気のある紅茶は八年前から生産が始まった。組合では三人が紅茶を生産している。
「緑茶は売れないけど、紅茶は売れるんだぃね」と笑う文昭さん。じつは私もよこぜ紅茶
が好きで、芦ヶ久保道の駅で買ってきて毎日飲んでいる。癖のない美味しい紅茶だ。
朝八時、約束の時間に製茶工場に行くと、すでに文昭さんが来ていて茶葉を広げて乾燥
させていた。昨日刈り取った茶葉を二時間日光に当てて乾したものだとのこと。しっとり
とした葉からは果実のような香りが漂ってくる。品種を聞くと「さやまかおり」という返
事が返ってきた。ほかに「やぶきた」という品種も栽培しているが、今回は「さやまかお
り」だけで紅茶を作る。三十キロの生茶葉を乾燥させて二十二キロくらいまでにする。自
然乾燥で終わらない時は扇風機を使うこともある。茶葉を広げて乾燥しながら茎やゴミを
取り除く。ここで充分に乾燥させておかないと機械にかける時に時間がかかってしまう。
茶葉をしおらせ乾燥させる工程を専門用語で自然萎凋(いちょう)という。紅茶作りの
手引き書には外気温・湿度・適度・萎凋時間などが詳しく書いてあるが、文昭さんは「ま
あ、本の通りには出来ないから勘でやってるねえ…」とのこと。
紅茶は二番茶で作るようにしている。以前に一番茶で作ったことがあったのだが、どう
も発酵が進まない感じだった。一番茶の時期はまだ気温が低いのでその為だったと思われ
る。ここでは、気温が高いのと緑茶との作業が重ならない事から二番茶で紅茶を作るよう
にしている。緑茶の時期は工場がてんやわんやになるからだ。紅茶の香りが緑茶に移るこ
とがあってはならないので、掃除の手間や時間を考えると時期をずらすのがいい。
緑茶は十人の組合員が作っており、緑茶作りの時期は工場が大忙しになる。緑茶は毎年
約一万キロ作る。地元分は四千キロくらいなのだが、それ以外は周辺の十市町村から作る
人が集まる。お茶工場が秩父ではここと寺尾農協しかないからだ。両神の出浦工場は個人
なので生産活動は少ない。ここは秩父では貴重な製茶工場で、もう五十年以上も緑茶を作
り続けている。対して紅茶は、組合員三人(会長と副会長と文昭さん)でしか作っていな
い。その紅茶の方がよく売れるというのは皮肉なものだと文昭さんは笑う。
乾燥した茶葉は揉捻機(じゅうねんき)にかける。手引き書には「茶葉の組織を破壊し
て、発酵が平均にかつ急速に進むようにすると同時に茶葉によれをつけて縮まらせないた
めに行う」と書いてある。バケットコンベアで茶葉を揉捻機に送り込む。このまま機械を
回して約二時間揉捻(もみこねる)する。回転数は一分間に二十三回転、加熱せずにただ
揉むだけ。機械が回転しながら茶葉を揉み込むと、白い汁が出て来てお茶の香りが立って
くる。二十分間加重して回転をかけ、その後は重りを軽くして空気を含ませるようにする
。重りを軽くすると流れ出していた汁がまた茶葉に吸収される。これを繰り返すことで茶
葉の発酵が進む。この汁は生葉だと機械がビショビショになるくらい出るらしい。
茶葉を日光に当てて乾かす。一時間から二時間乾かし、ゴミを取る。
二時間の揉捻(じゅうねん)が終わり、茶葉を乾燥工程に回す。
横瀬茶業協同組合で紅茶を作り始めたのは八年前のことだった。(株)寺田製作所の松
本先生にやってみないかと言われたのがきっかけだった。先に生産発売していた両神の出
浦正夫さんのところで一年間勉強して、組合長が中心になって紅茶作りを始めた。
組合全体で年に三十回くらい紅茶作りをする。そのうち組合長が十一回、文昭さんは八
回くらい作る。作った紅茶は道の駅で販売する。販売は組合長の娘さんが担当しており、
ティーバックの製造販売も娘さんが担当している。文昭さんの紅茶は出来上がったものを
保冷庫に入れておき、随時製品として出荷する。
一回三十キロの生葉から六キロの紅茶が出来る。「ごいちって言うんだぃね」と文昭さ
ん。六キロの紅茶から屑を取り除くと五キロくらいになってしまう。五十グラムで製品だ
から、一回で百袋の紅茶が出来る計算になる。屑がすくなければ製品はそれだけ増える。
揉捻機の作業が残り三十分ほどになってきた。茶葉は揉まれて茶色になり、すごい紅茶
の香りが立っている。熱も加えずに揉むだけで発酵が進んでいるのがよくわかる。汁はす
でに完全になくなっている。
文昭さんは次の発酵工程の準備に入る。大きな台の上に三つの寝床を作る。寝床にはタ
オルケットが広げられ、じょうろでそこに水を撒いている。発酵には湿気が必要なので濡
らしているとのこと。手引き書には外気温が二十六度内外、湿度が九十%と書いてある。
揉捻が終わった。本来ならここで篩(ふる)い分けをするのだが、文昭さんは省略して
いる。「篩い分けして、大きな茶葉を再度揉捻するって書いてあるけど、そんなに変わら
ないからねえ、まあ今までの経験で省略してるんだぃね…」とのこと。
三つの山に茶葉を分け、それぞれをタオルケットでくるむ。茶葉の中には温度計が差し
込んである。ここからの温度管理は神経を使う。特に今日は気温が高いのでこまめにチェ
ックして三十五度以上に茶葉の温度が上がらないようにしなければならない。三十五度を
越えると紅茶にならず腐ってしまうからだ。
二十分ごとに包みを開いて温度を確認し、全体を切り返す。温度はほぼ三十度に近かっ
た。出口に近い包みの温度が三十度で、内側の二つが三十一度だった。包みが置いてある
場所によっても違いが出る。当然、発酵の進み方にも違いが出る。温度が高い方が香りも
高くなる。その違いは包みを開けた瞬間にわかる。
一番茶の時期にはこの段階での温度不足が紅茶を作りにくい原因だった。六月は温度が
上がらずに二十七度くらいにしかならなかった。色も香りも薄い紅茶になってしまった。
一時間ほどの発酵時間を終えたら乾燥機にかけ、一気に温度を上げて発酵を止める。乾
燥は一回目の荒乾燥と二回目の本乾燥と続く。荒乾燥は百度の熱風で三十分くらい乾燥さ
せる。本乾燥は八十度で三十分くらいの乾燥時間。乾燥棚はそれぞれ四つある。時々棚の
上下移動や紅茶の切り返しを行う。熱くて汗びっしょりの文昭さんだが、これが仕上げ工
程なので気が抜けない。切り返しは少なくとも三回以上行う。さらさらの紅茶になる。
乾燥が終わった紅茶は大きな和紙を貼った竹カゴに入れておく。文昭さんは次の包みの
乾燥に入る。同じ作業を三回、約三時間乾燥機と格闘する。
「いつもは赤味が出てくるんだけど、今日は少ねえような気がする…」とつぶやきながら
乾いた紅茶の切り返しを続ける。掌はこの作業で赤く染まってきた。この作業は手袋をし
ていては出来ないので仕方ないのだと笑っている。手の平がつるつるになってきた。
乾燥は荒乾燥と本乾燥の二回。約三時間、熱い乾燥機と格闘する。
棒取り機にかける前に粗い目のフルイにかけ大きなゴミを取る。
乾燥が終わった紅茶は棒取り機にかける。正式には電子色彩選別機といいSENVECとい
う名前がついている機械だ。茶葉の黒と茎の白を見分け、白い茎だけ選別する。こうして
やっと完成した紅茶だが、最後の仕上げに細かい目のフルイで篩って粉を落とす。紅茶を
入れたときに茶碗に残る粉をなくすことで文昭さんの紅茶は完成する。
一日、七時間から八時間かけて出来上がる紅茶。生の茶葉がこれだけの時間で紅茶に変
身する。その不思議さに感動した。出来上がった紅茶を持って、自宅に行こうと文昭さん
が言う。茶葉を刈り取る方法も見せてくれるというので、急いで車を走らせて入山(いり
やま)耕地の自宅に向かった。
自宅に着くと奥さんのノブエさんが持ち帰った紅茶を入れてくれた。上品な茶器に注が
れた紅茶の色の見事なこと。出来たての鮮やかな赤い色が目を楽しませてくれる。香りを
かいで紅茶を口に含む。いつも飲み慣れた紅茶の味だ。生の茶葉からこの味の紅茶になる
不思議を静かに味わう。まるで魔法のようなものだ。
茶畑で刈り取りを見せてもらった。素晴らしい茶畑は丹誠のたまもの。
茶畑の奥にあるのが自宅。豊かな自然と一体になった豊かな暮らし。
ひと休みしたら文昭さんが「茶葉を刈るから見ていきない」と言ってくれたので、一緒
に自宅裏の茶畑に向かう。文昭さんの両手には一人用のお茶刈り機が握られている。お茶
畑は広さ二十アールほど。斜面にそり上がるようにきれいなお茶の列が並んでいる。地面
はフカフカの落ち葉堆肥で覆われている。この堆肥がお茶の木を育てる。防霜フアンが三
基立っており、山間高地なのに霜の被害に遭ったことはないという。
茶葉の刈り取りを見せてもらった。刈り取り機のエンジン音が山に響き渡り、あっとい
う間に二列の茶の葉を刈り取った。音におどろいて野鳥のアカハラが飛び出した。猪も堆
肥のミミズを狙って茶畑を掘り返すという。豊かな土だからこそ、このお茶が育つのだ。
作業を終えて自宅に帰りながら、茶畑から文昭さんの背中と自宅を見る。まさに山の中
に埋もれた家と畑。豊かな自然と豊かな生活がそこにあった。