山里の記憶229


八幡様の直会:近藤須美子さん



2018. 12. 07/08


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 十二月八日と九日の二日間、小鹿野の飯田八幡神社の例大祭、通称「鉄砲祭り」の取材
をした。取材したのは近藤須美子さん(七十一歳)で、お祭りの裏側で奮闘する姿と、直
会(なおらい)料理について話を伺った。須美子さんは八幡神社宮司の奥さんで、お祭り
の裏側を取り仕切っている人だった。本当に忙しい時間の中で話を聞かせていただき、知
らない事ばかりだったお祭りの裏側を見るという貴重な体験が出来た。        
 飯田八幡神社の例大祭は十二月の十四日と十五日に行われていたのだが、平成十七年か
ら十二月の第二土曜日と日曜日に開催されるようになった。             
 八日土曜日の朝九時に伺った時はすでに作業が始まっていた。お手伝いの村越節子さん
と北エイ子さんが慣れた手つきで大量の野菜を刻んでいる。急に寒くなった朝だったが、
そんな事はお構いなく寒風の中で二人の手が忙しく動いていた。           
 須美子さんに挨拶をして、作業の邪魔をしないようにしながら話を聞く。毎年寒い中で
やっているので、今日はまだ日が当たっているから暖かい方だとのこと。寒空の下でも二
百人分以上の料理を作るのだから忙しい作業が続く。二人が声を掛け合いながら次々と野
菜を刻み、煮物を作る様子は料理ショーのようでもあった。             

 須美子さんは材料の確認をしたり道具の準備をしたりと動き回る。一段落したところで
宮司宅の上がり端で話を聞くことが出来た。いつもは四百人分の料理を作るのだが、今年
は仕出しも使って二百二十人分の料理を作るとのこと。その数と種類の多さに驚いた。 
 殆どが明日の本祭り用だが、今日の夕方氏子総代の直会があり、その二十人分は今日使
われるとのこと。以前は五日間分くらいの料理を作ったのだが、最近は金・土・日の三日
間だけになった。煮物などの料理はお手伝いの人が作ってくれるが、その他にもたくさん
やる事がある。                                 

寒風の中大量の野菜を刻んで料理を作る。 須美子さんが作った七重ねのお供え。拝殿と末社に奉納する。

 祭り前の木曜日には播磨マケ(御輿をかつぐ人)の人達と馬の幣束を作る人にご飯とけ
んちん汁と漬物を出す。金曜日にはお手伝いの神主さんや神職の人達にご飯とサンマ開き
の炭火焼きと漬物を出す。また、金曜日にはお供え用の餅を七重ね分作る。これは土曜日
に拝殿と末社・神楽殿に奉納する。献饌用の野菜などを準備するのも金曜日だ。    
 土曜日には大豆を一升煮る。これは参拝者が購入してご神馬に食べさせるもので、味付
けはしない。昔の話だが、この大豆を食べて子宝に恵まれた人がいた。その話を聞いた母
親が娘に子宝が欲しいからと求めに来た事があった。お祭りのものだからと断ったが、そ
んな御利益があったのかと感心したそうだ。三本足の大根とか人参の奉納もある。これら
も子宝や安産の願いを込めて奉納するものだ。                   

 本祭りの日曜日には朝五時起きで六升の赤飯を炊く。赤飯に入れる小豆は自分の畑で育
てた小豆を使う。おひつに入れて献納する分とお客様に配る分だ。お客様用はパック詰め
してお祭り包装紙をかけ、上がり端の正面の箱に入れ、すぐに出せるようにしておく。 
 お祭り当日には釣り銭の手配などもする。拝殿や氏子総代に渡すまでが須美子さんの仕
事だ。会計の日までお賽銭を預からなくてはならない。これも神経を使う仕事だ。その他
にも笠鉾のぼんぼり張りや歌舞伎舞台の障子張りなどもやる。行事の手伝いもするし、社
務所のお茶入れも係の人がいない時は須美子さんがやる。「まったくやる事が多くて忘れ
ちゃいそうだぃね」と笑う。裏方の元締めといったところか。            
 お祭りが終わった後の月曜日にも様々な仕事がある。片付けに来た人たちに昼ご飯とし
てうどんを作って出すのも仕事だ。                        

 昔は氏子ごとに田んぼ一反歩で米一升、畑一反歩で大豆一升という量を穀箱に奉納して
もらい、それを神社の様々な行事に使った。畑や田んぼのない氏子は金券で奉納した。昔
は一軒三百円だったが、今は大祭費として千円になっている。穀箱の米は献穀米といい、
馬の宿・お徒士の宿・鳥毛の宿などで使われる他、三月迄様々に神社の行事で使われた。
 直会料理といえば昔はいなり寿司や海苔巻きを作ったものだった。おにぎりを作って警
備の警察官に配ったり、うどんを作って食べてもらった事もあった。警察官がブーツを脱
ぐのが大変だからということで寿司にした。今は警察の人には料理を出していない。  
 食材の注文や管理も須美子さんの仕事だ。空砲や火縄銃の警察に提出する書類作りや傘
鉾や屋台の運行配置図の警察への提出も事前にやらなければならない。        

 話を聞いている間に料理作りが進んでいた。二百人分の煮物にはどれだけの材料がいる
のか聞くと、竹輪が四十本、サトイモ九キロ、ゴボウ二十二本、ニンジンたくさんという
答えが返ってきた。他にこんにゃくもあるし大根もある。主役のサンマは矢尾から二百四
十尾を仕入れた。直会で出す料理の他にも、宮司宅でお客様をもてなす料理も作る。サラ
ダや酢の物、和え物などの材料もある。                      
 竹輪は薄皮を丁寧に取り除き、一本を八切れに斜め切り。醤油・酒・砂糖で味付けて大
鍋で煮る。この竹輪の煮汁を使ってゴボウとこんにゃくを煮る。竹輪の旨味が入って美味
しくなる。ニンジンとサトイモは醤油を使わず、塩と砂糖、酒とダシ少々で煮る。どれも
大鍋で煮るから味が均一に決まる。                        
 きんぴらはゴボウとニンジンの拍子木切りを砂糖・醤油・酒・塩・ダシで煮る。大根と
人参のなますは今日切ってひと晩置き、日曜日に絞って水切りして甘酢で味付けする。 

 土曜日の午後三時、笠鉾と屋台の曳行が始まった。祭り囃子と囃し声、花火の音が山里
をにぎやかにする。着飾った祭り半纏の若者や子供らが笑顔で笠鉾と屋台を曳く。大勢の
カメラマンが追いかけ、待ち構え、シャッターを切る。お祭りの始まりだ。      
 社務所が直会の準備で忙しくなる。社務所には配膳などの担当でお手伝いの黒沢君子さ
んがてきぱきと準備していた。台所横の六畳には囲炉裏があり、炭が熾されていた。神職
の人達が交代で食事を摂っている。献立は直会と同じで、サンマの炭火焼き、煮物、どん
ぶりご飯、白菜の漬け物が並んでいる。                      
 台所の焜炉にはヤカンがかけられている。中身はお酒だ。お酒をヤカンで温めて一合徳
利に注いで配るためのもの。お酒は二本組みで奉納してもらったものを使う。     

出来上がった料理は直会の前にこうして盛り付けて準備する。 サンマの炭火焼きは直会のメイン料理。香ばしくて旨いと評判がいい。

 夕方五時半、氏子総代の直会が始まった。羽織袴姿の役員が会場に入ってくる。台所が
急に忙しくなった。黒沢さんがテキパキと指示を出し、北さんがそれに応える。ガス釜で
焚いたご飯をどんぶりに盛る。サンマは一尾ずつスチロールの皿に盛る。煮物は母屋でス
チロールの皿に並べたものがトレーに並べられており、それを配膳する。お酒を湧かすの
も急ピッチに進む。寒い日だったから温かいお酒が何よりなのだろう。黒沢さんはお酒を
飲まない人用にお茶の用意もするから忙しい。                   
 全員が揃ったところで宮司の挨拶があり、直会が始まった。許可をいただいて中に入り
写真を撮る。この写真までで土曜日の取材は終わった。               

 日曜日、本祭り当日。朝六時に花火が上がり、祭りの当日を知らせる。約束の八時半に
伺うと、すでに赤飯パックが出来上がっていた。朝からサンマ焼きがフル回転になってい
た。直会主役のサンマ開きの炭火焼きは別の場所で焼く。三畳ほどの軒下をブルーシート
で囲った焼き場が作ってあり、ドラム缶を切った焜炉に炭火を熾して焼く。焼く人は二年
目の浅香繁さんで、誰もが「旨い」と絶賛する味に焼き上げる名人だ。        
 二年目なのだが焼き方を工夫しているという。油が落ちて炎が上がるとサンマが真っ黒
になってしまうので油が落ちたらサンマを移動させる。皮目から焼いて型崩れを防ぐ。尾
頭付きが条件なので、頭が取れないように気を配る。一回焼くのに十五分くらいかかる。
一回で六尾〜七尾を焼くのだが、二百尾焼くのは大変な作業だ。氏子総代が美味しいと言
ってくれるのが嬉しいという。二日間サンマを焼き続けると体中にサンマの匂いがこびり
ついて風呂に入っても三日間取れないという。これこそ裏方の鏡で、直会はこのサンマあ
ってこそ成り立っている。                            

氏子総代役員の直会。準備した料理が振る舞われる。 本祭りは午後からが本番。これから人が増えてにぎやかになる。

 昼になる前、忙しくなる前に直会の料理を一通り食べさせていただいた。焼いたサンマ
は本当に旨かった。白菜の漬物は薄味で、サンマの脂を程良く消してくれた。村越さんが
味付けした煮物はどれも素朴で旨かった。これは上等な酒の肴にもなるし、ご飯のお供に
もなる素晴らしい味だった。本祭り当日、社務所での取材は混雑を考えて遠慮した。  
 子供の頃から親しんできた八幡様の裏側にこんな世界があって、こんな料理がふるまわ
れていた。得がたい経験をさせていただき、お祭りを見る目が変わった。裏方の努力があ
ってこそ成り立っているお祭りなのだと実感した。