山里の記憶
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ねじ:高橋 勇さん
2019. 8. 12
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八月十二日、秩父市の下影森に「ねじ」の取材に行った。取材したのは高橋勇さん(六
十七歳)で、お盆だけに作るという特別な料理を作って頂いた。以前にお盆の料理として
「小豆ぼうとう」という料理を取材したことがあった。内容を聞くと、ほぼその料理と同
じだとわかったが、勇さんは「ねじ」と言う。簡単に言うと、太いうどんをねじって茹で
、あんこをまぶすもの。お盆に帰ってくるご先祖様が仏壇に落ち着く為のご馳走だ。オチ
ツキと言って、小豆ぼうとうだったりたらし焼きだったりと地域や家によって違う。
勇さんの家ではお盆の迎え火の日に作る。またお彼岸など先祖供養の日に作ることが多
い。勇さんの話では「手が施してあるものをって事なんだと思うよ・・」とのこと。昔は
母親が全部作っていた。母親が他界した年、七年前から勇さんがねじを作っている。
「おふくろはおはぎや混ぜご飯なんかも作ってたぃね。おふくろがやってなかったら俺も
作ってないよね・・」弟や妹が珍しいと言って喜んでくれるし、新盆(あらぼん)の家に
も配ったりするので作りがいがある。昔のことを知っている人が喜んでくれるという。
生地は前日に出来ていた。五百グラムのうどん粉に少量の塩を加えて軟水で練り、一晩
寝かせたもの。寝かせる事でグルテンが育ち、生地に腰ができる。美味しいうどんを作る
のと手順は同じだが、塩の量が少ないという。粉の持つ味と力を最大限生かしたいのだ。
勇さんはこねる時に使う水にこだわっている。「軟水でないと駄目なんだぃね」とのこ
と。秩父の名水は数あるが、石灰岩の山から湧く硬水が多い。硬水では美味しいうどんに
ならないのだという。お茶やコーヒーを淹れるのに軟水を選ぶ人は多いが料理にまで徹底
する人は少ない。麺を作るのは真剣なんだという勇さんのこだわりだ。軟水は煮沸して、
冷ましてから生地に練り込む。夏は特に料理が傷むのが早いので雑菌をなくすための一手
間を惜しまない。
一晩寝かせた生地をビニール袋に入れて足で踏む。
麺棒で生地を伸ばす。手の動きがリズミカルで美しい。
一晩寝かせた丸い生地を厚いビニール袋に入れて足で踏む。踏んで伸ばして畳んだもの
を再度足で踏む。こうすることで生地に腰が出る。踏んだ生地を大きなこね鉢に移し、両
手で体重をかけてこねる。これは生地から空気を抜く工程だ。生地中に細かいプツプツし
た空気があるのでそれを押し出すのだという。
次は作業台に打ち粉を振って、麺棒で平らに伸ばす作業に入る。勇さんの動きはよどみ
がなく淡々と確実に生地が大きく広がってゆく。軽快に動く麺棒と両手の動きがリズミカ
ルで見ていて楽しい。「全体が四角くなるように伸ばすんだぃ・・」四角く伸ばした方が
麺にする時に無駄がなくなる。
麺生地が出来上がった。厚さ四ミリ、四十センチ×五十センチの大きさになった。この
平らに伸びた生地をうどん包丁で切って短冊状にする。このうどん包丁が素晴らしいもの
だった。蕎麦包丁と同じ形だがこれはうどん包丁で、蕎麦包丁は別にある。「麺道楽」の
真骨頂とも言える包丁だった。
ここからがねじの由来に繋がる作業になる。細長い生地をおみくじを結ぶように結ぶ。
次から次に結んだ麺が出来上がる。「これは女衆(おんなし:この場合は奥さんのこと)
の仕事なんで俺は苦手なんだよね」と言いながら細かい作業が続く。私も少し手伝う。
勇さんのねじにはもう一つ別のスタイルがある。短冊麺の中央に切れ目を入れ、片方の
端を穴にくぐらせるスタイル。こんにゃくの煮物を作るときにやる形を麺生地で作る。そ
れぞれ別々に作っている。昨日作ったという別スタイルのねじを食べさせてもらった。あ
んこをまぶしたうどんという感じで旨かった。
今まで、短冊状の麺をねじって煮るということで「ねじ」と言われるのだと思っていた
のだが、勇さんのねじは結んだり穴にくぐらせたりと形が進化している。勇さんは結んだ
ねじの方が食べやすいという。ちょうど一口サイズになるのだ。
これがうどん包丁。蕎麦包丁とどう違うのか素人にはわからない。
茹でた「ねじ」を水道の水で締める。
出来上がったねじは大鍋で茹でる。勇さんは茹でる鍋の水も軟水にこだわっている。沸
騰した湯にねじを投入して二十分間強火で茹でる。結びねじはグラグラと茹でられてほど
けてしまう事もある。この日も何個かほどけてただの太麺になっていた。
茹で終わったら大きなざるにあけ、水道の水で締める。たくさんの鍋やボウル・ザルな
どがキッチンに並んでいる。全部勇さんの「麺道楽」用なのだという。その数に驚いた。
出汁でゆるく溶いたアンコが銅なべに入っている。今回は既製品のアンコを使ったそう
だが溶く出汁に秘密がある。勇さんいわく「出汁が決め手なんだよ」とのこと。
茹で上がったねじをアンコ鍋に投入して冷ませばねじの完成となる。一晩冷蔵庫で寝か
せたねじをお皿に盛り、盆の仏壇に供えるのは迎え火を焚く明日のこと。ご先祖様を迎え
る盆のご馳走だ。盆に集まる親戚や兄弟が喜んでくれるこの時だけのご馳走だ。今はまだ
アンコもサラサラだが、一晩置くとねっとり固まる。
作りたてを一つだけ食べさせてもらった。もっちりしたねじと甘いアンコが絡んだアン
コ餅のような味と食感。夏のご馳走だと思った。手間をかけて作ったねじのもちもち感が
素晴らしい。うどん版のおはぎ、または餅入りのお汁粉という感じになる。うどんとあん
こが組み合わさったご馳走。全国各地に同じような食べ物があるのだと思う。愛知県には
「じょじょ切り」というお汁粉うどんがあるという。昔は砂糖を使った甘いあんこはご馳
走だった。お盆やお彼岸やお正月にしか食べらないものだった。その大切な味だからこそ
長く伝わってほしい。この味にはご先祖様もさぞ満足することだろう。
あんこを煮た鍋に「ねじ」を入れて混ぜる。一晩おくと固まる。
勇さんの「ねじ」はお盆料理。迎え火を焚いて仏壇に供える。
ねじを作り終え、作業場に戻って勇さんに色々話を聞いた。「俺の遊び場だぃ・・」と
いうこの作業場には大きな冷蔵庫や麺作りの道具が並んでいる。エアコン付きの作業場で
様々な麺を作って楽しんでいる。
仲間や知人に水にこだわる人が多く、勇さんも水にこだわるようになった。秩父の名水
にも様々ある。荒川久那の不動名水、小鹿野町藤倉の毘沙門水、同じく藤倉のふれあい水
、横瀬町生川(うぶかわ)の延命水、寄居町風布の日本水(やまとみず)、秩父市の武甲
山伏流水などが有名だが、何箇所かは硬水だ。勇さんは軟水にこだわっているので場所が
限られる。秩父には湧水も多いので様々な場所に出かけて美味しい軟水を探している。今
は石間(いさま)の湧き水を汲んで使っている。
この作業場で餃子の皮やラーメンの麺作りもやる。蕎麦は北海道の新蕎麦をふのりをつ
なぎに使って使って打つへぎそばが得意だ。こねる水はもちろん軟水を使っている。「粉
物は全部自分でやるんだぃね・・」と笑う勇さん。
作業場の外には大量のニンニクが並んでいた、聞くと炊飯器を使って黒ニンニクを作っ
ているとのこと。「一つ食べて見ないかい、匂わないから」と言われて剥かれた黒ニンニ
クを食べた。甘くて濃厚な味が口に広がった。本当にニンニク臭くなかったのびっくりし
た。「趣味を持ってると希望や楽しみがあるよね・・」と勇さんはさらりと言う。
勇さんの家は旧家だ。お寺の資料でわかってるだけで六代目だという。実際にはもっと
古くからある家だっただろう。家の敷地には立派なお稲荷様が建っていて、立て札には王
子稲荷神社と書いてある。「昔からあるんで俺は守っているだけさ、信仰じゃないよね」
とさりげない。敷地内の畑では野菜、果物、各種の花々が栽培されている。お盆の盆棚に
飾るほおずきもたくさんあり、赤く色づいていた。
ご先祖は養蚕農家で、養蚕の指導に各地に出かけていたようだ。この周辺は秩父札所二
十六番 萬松山・円融寺の門前で、昔は四、五軒の家しかなかった。屋号のある家は勇さ
んの家を含めて三軒しかない。勇さんが生まれた時でも十軒くらいの家しかなかった。
お盆に入るとお墓の掃除が勇さんの仕事だ。「普通の家の三倍くらい石塔の数があるか
ら一日がかりで拭き掃除をするんだよ・・」と笑う。
お墓の掃除は十一日で終え、十二日にはねじを作り、お盆様を飾る。仏様を笹や竹で飾
り、ほおずきやナスの牛やきゅうりの馬を飾る。十三日に迎え火を焚き、十三日・十四日
・十五日と新盆の家を回る。新盆の家は盆棚を飾るが、最近は葬儀社から盆棚を借りて作
る家が多い。勇さんの家でも盆棚はあるが、最近は組み立てていない。十六日は送り盆で
庭で送り火を焚く。「迎え火も送り火も女衆がやるんで、俺はやってないね」とのこと。
ねじや小豆ぼうとうは十六日の送り盆に作る家もある。家それぞれの家例による。
ねじはご先祖様に供え、里帰りの兄弟や子供達に食べてもらう。みんな懐かしいと喜ん
でくれるという。この懐かしい味をいつまでも残してほしいものだと思った。