山里の記憶24


石垣積み(石垣とり):強矢乾一さん



2008. 5. 11



絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。


 5月4日の朝、家を出て秩父に向かう。吉瀬さんから連絡があり、急遽石垣積み(石垣
とりとも言う)の取材が出来ることになったのだ。天気は上々、5月の爽やかな風が山々
を渡っている絶好の取材日和だった。                       
 取材をお願いしたのは強矢乾一(すねやけんいち)さん(80歳)で、甥ごさんの家の
石垣を積んでいるのだそうだ。あらかじめ聞いていたので場所はすぐに分かった。真新し
い白い壁の家が建っており、庭先の石垣が今まさに積まれているところだった。挨拶をし
てすぐに手伝う態勢に入る。今日は少しでも手伝うために畑仕事用のツナギを着て来た。

石垣には「やり方」が施してあり、水糸が張られている。 上から見ると石垣の裏側がどう作ってあるかよく分かる。

 乾一さんはニコニコ笑いながら色々話してくれた。手と体は休まずに動き続けていた。
石垣積みの勾配の話から始まって、基礎の作り方、積み方、やってはいけない積み方など
に及んだ。メモを取りながら聞いているので、まったく手伝うことが出来ない。それにし
ても細い体で見事に石を操るものだ。大きな石をコロリコロリと転がしてきて、のり面に
合わせた瞬間にピタリと位置が決まっているのだから驚く。             
 乾一さんは40歳の頃から石垣積みの仕事をしてきた。その熟練の技が力に頼らない石
の動かし方に現れている。どうしても手伝いたかったので言われた石を持ち上げて運ぼう
とした。持ち上げようとした瞬間バランスを崩し、あっけなく尻餅をついてしまい笑われ
てしまった。大きな石を動かすのは簡単な事ではなかった。             
 石の上に石を積む。石を積み上げれば石垣ができる。簡単に出来そうな気がしたのだが
石垣積みはそんなに甘くなかった。土木工事の基礎に当たる訳で、基本を守り、きちんと
積まなければ、家も畑も崩れ落ちてしまうのだ。                  

 乾一さんに聞いた石垣積みの手順。まず石垣を積む斜面の整備、そして最下段の根石を
埋める溝掘り。深さ50センチくらいまで掘る。根石はなるべく三角の石を平らに並べる
。杭を打ち、石垣の勾配を決める「やり方」をする。宅地や畑などは三分勾配(1メート
ル上がって30センチ削る勾配)、道路などは四分勾配で決め、水糸を張る。水糸は勾配
と水平を同時に表し、石垣の「のり面」はこの水糸に合わせるように積み上げる。石垣に
積む石は長い方を「控え」と言い、必ず長い方を奥に向けて積まなければならない。一つ
一つの石は三点で固定するようにする。石尻の下に置く石は「ともがい石」といい、石を
安定させるために重要な役目を持っている。のり面から幅30センチ以上、裏込め石やグ
リ石を詰めて排水を効かせる。                          

 石を積むのは根石の間から斜めに倒すように積み始める。平らに重ねるように積むのは
最悪で、後で石抜けや崩れを誘発する。石垣のまずい積み方としては次のような例がある
。面を積む時の「あぶり」。面の方が控えよりも長い石や平たい石を貼り付けるように積
むもので、土圧に負けて石が飛び出してくる。「逆石」も良くない。胴長の大きな石を小
さな石の上に据えたもので、石組みが不安定になる。                
 一般的に言われているのは「四ツ巻」と「八ツ巻」。一つの石を四個の石で囲む「四ツ
巻」と、八個の石で囲む「八ツ巻」。どちらも石抜けが起きると言われている。その他に
も、等大の石を縦に何個も積み重ねる「芋串」、等大の石を重箱のように重ねる「重箱」
、目地が通ってしまう「目通り」などが忌み嫌われる。               

 石がピタリと合わないときは、ハンマーで割り削る。石の目を読みながら削るようにハ
ンマーで叩くと、あら不思議、石はピタリと治まった。乾一さんは石の性質を見ながら削
り、自然石でありながら「のり面」をピタリと揃えていく。高い石垣にはエンピパイプで
水抜きを作る。昔は竹を入れていたそうだ。竹が腐ると自然に穴になって、水抜きをして
くれるのだ。乾一さんは、あの穴は水だけではなく「土圧」も抜いてくれるのだという。
土木の専門家ではないので、土圧を抜くことがどれだけ大切なことかは分からないが、石
垣師が忌み嫌う「孕み」の原因を除くのだそうだ。乾一さんが今まで積んだ石垣はどれ一
つとして崩れたものはない。                           

全体を見ると基本に忠実な石の組み方がよく分かる。 時折作業を中断してタバコを一服するが目は石を見ている。

 今は裏込め石の代わりにコンクリートを流し込むことが多いが、昔はコンクリートなど
無かったのでグリ石を突き込んだ。それでも石垣が崩れることはなかった。石と石の相性
を見極めながら一つ一つ積んでいく職人の技が強度を保つのだ。仙台城の石垣を修復する
石工の話を本で読んだことがある。その名人は一つ一つの石に「崩れるなよ」と語りかけ
ながら石垣を積むと言う。自然石を積み上げる穴太積み(あのうづみ)という昔ながらの
石垣がある。大小の石が有機的に組み合って、どんな地震でも崩れることはないという。
コンピューターでも正解など絶対に出ない自然石の組み合わせ。経験と勘と信頼で一つ一
つの石に語りかけながら積む石工の技。昔の人はすごかった。ユンボやコンクリートなど
無かった時代の石垣が輝いて見える。                       

 5月11日、小鹿野町三山の乾一さんの自宅に伺っていろいろ話を聞いた。先日の現場
では落ち着いて話を聞くことが出来なかったので、作業を休んでいるというこの日に改め
て伺ったのだ。5月とはいえ寒い日だったので、乾一さんはすぐに炬燵に招き入れてくれ
た。炬燵でお茶を飲みながら四方山話が始まった。お蚕の糸で投網を作った話や、漁協の
監視員をやっていた頃の話だとか、土木の仕事の前にやっていた木の切り出しの仕事の話
など、とても面白く興味深い話が続いた。もっといろいろ聞きたかったのだが、目的の石
垣とりの話に戻って、改めて聞いてみた。乾一さんはニコニコ笑いながら話してくれた。

 ユンボの無かった時代に、大きな石をどうやって運んだのか。小さい石は背板で背負っ
て運んだ。一人25貫(約94キロ)を運べれば一人前と言われたそうだ。重い石はマフ
ジの根で作ったネンベエというモッコを荷棒(こぼぅ)という杉丸太で担いだ。普通は二
人で担いだが、ヨテンと言って4人で担ぐ場合もあり、ヤテンと言って8人で担ぐことも
あった。モッコで石を担ぐとき、モッコのヒモは閉じていなければならなかった。開いて
いると石が動いて危険だった。ヨテンもヤテンも担ぐときに息を合わせないとバランスが
崩れて危険だった。マフジで作っていたモッコはすぐにワイヤー製のものに代わった。 
 平らな場所はコロを使って大きな石を動かすこともあった。コロの上に修羅と呼ばれる
木ぞりを乗せ、その上に石を乗せて引くこともあった。               

 大きく重い石を動かしたり、吊ったりするのには「かぐらさん」という道具が欠かせな
かった。「かぐらさん」は芯棒を回転させて縄を巻き付け、重い物を動かす人力のウイン
チだった。縄はマニラ麻の縄を使っていた。角度を変えるための木製のワッシャーをセミ
と言って、これを使って角度を変えたり吊り上げたりした。吊るときは金車(きんしゃ)
という滑車を使って吊り上げた。この「かぐらさん」は昭和になっても使われていた優れ
ものだった。今でも諏訪の御柱立てや古墳の修復などに使われている。現在はユンボとい
う万能の機械があるので出番は無くなったが、昔の人の知恵には本当に感心する。   

11日に伺った小鹿野町のご自宅。玄関で亀が出迎えてくれた。 炬燵でいろいろ話をしてくれた乾一さん。

 乾一さんは40歳くらいから石垣とりを始めた。最初の三年は先輩の言うことを聞くだ
けで精一杯だった。見て覚えようにも、何も解らなかった。「らっきょう石持ってこい」
などと言われ、あたふたしていたそうだ。らっきょうのような形の石なのだが、いきなり
言われると何だか解らなかったと笑う。                      
 三年くらい手子(てこ)で手伝っているうちに「そこ、積んでみな・・・」と言われる
ようになり、経験を積むことでやっと解ってきたという。経験してわかったことは「言葉
じゃあ上手く言えないやねえ・・」ということだった。分析して法則を割り出して記録し
た技術を伝える事が科学的だとすれば、石垣積みにはそれが当てはまらない。基本はある
が、どの石とどの石をどう組み合わせるかの判断は勘と経験による。         

 乾一さんによると、基本に忠実に積み上げた石垣はどんな高くても崩れることはなく、
いつまでも「のり面」を守るそうだ。山里の美しい石垣は未来に伝えなければならない財
産であり地域の誇りでもある。その石を一つ一つ積んだ先人の「崩れるなよ」という思い
とともに、今も山里を守っている。                        
 秩父に限らず、山里の暮らしは石垣なしにはあり得ない。平地はほとんど無く、平地を
作るためには石垣を積まなければならなかった。先祖は営々と石垣を積み上げ続け、膨大
な平地を確保してきた。まさに石垣積みが暮らしの始まりにあったのだ。山里に今残って
いる美しく膨大な石垣は先祖が一つ一つ石を積み上げて作ったものだ。何百年も崩れない
技がそこに積み上げられている。