山里の記憶246


空師:田村勝義さん



2020. 6. 02


絵をクリックすると大きく表示されます。ブラウザの【戻る】で戻ってください。

 六月二日、秩父市荒川に空師(そらし)の取材に行った。昨年から依頼していた取材だ
ったのだが仕事場所が関東一円と広く、やっと秩父で仕事があるということで連絡があっ
た。朝五時起きで出かけた。待ち合わせのコンビニで初めて会った田村勝義さん(七十六
歳)と名刺交換して挨拶を交わす。名刺には「森の名手・名人」と肩書きがついている。
話を聞くと車から写真を出して見せてくれた。平成二十八年の埼玉県緑化推進委員会総会
の時に上田埼玉県知事から表彰を受けている写真だった。根切り伐採・高所特殊伐採・猟
師の三拍子揃った名人として表彰されたとのこと。名刺の肩書きにも納得した。    

 空師とは高所特殊伐採を生業とする人の呼び名だ。普通の人には出来ない、空に一番近
い場所を仕事場とすることから畏敬の念を込めて空師と呼ばれている。危険な仕事でもあ
り、七十六歳で現役というのは驚くほかない。仕事の依頼は多く、一年先まで埋まってい
るとのこと。本来ならクレーンを使って作業するような現場でも勝義さんは体一つでやっ
てしまうとのこと。その技を目に焼き付けるのが今日の取材の目的だった。      
 伐採場所に移動し、説明を受ける。昨日十本以上の杉を切り倒した。八十年生の太い杉
ばかりで、今日もその続きの伐採をするという。一人では作業できないので助っ人二人が
来るのを待った。この伐採は秩父市の依頼で、道路拡張工事のために道路脇の杉を伐採し
ているもの。一本だけ離れて立っている大きな杉を空師の技で最後に伐採するとのことで
楽しみに待つことにした。                            

 助っ人の小池さん(六十八歳)と町田さん(五十五歳)が車でやってきた。すぐに伐採
の準備をする。一列になった杉を端の方から倒して行く。伐採する杉に六メートルのラダ
ー(アルミ製の一本梯子・体重制限百二十キロ)をかけ、町田さんが登ってワイヤーをか
ける。倒す方向の二十メートル先にセットした滑車で方向を変え、さらにその先十メート
ル地点でチルホールという人力ウインチにセットする。このチルホールはテコの原理で二
トンの重さを人力で引くことができる。                      
 勝義さんは車から三台のチェーンソーを出して整備を始めた。ガソリン給油、オイルの
給油を行う。三台ともゼノア製のチェーンソーで、これが一番使いやすいと言う。特に空
師の作業で使うチェーンソーは片手でも使える小型ハイパワーの優れものだ。     

上田埼玉県知事から「森の名人」として表彰された。 伐採する杉にかけたラダーを登り、牽引のワイヤーをかける。

 伐採作業が始まった。フェイスガード付きのヘルメットをかぶった勝義さんが伐採を担
当する。チェーンソーで受け口を切り、追い口を切り、そのままチェーンソーを止める。
 三十メートル先の町田さんがチルホールを操作し、ワイヤーで引っ張る。その引っ張り
具合を見ながら勝義さんが更に追い口を切る。決して切りすぎないように慎重だ。最後は
ワイヤーで引き倒すようにすることで、安全で確実な伐倒になる。完全に狙った場所に轟
音とともに倒れる大きな杉。狭いエリアで、畑を荒らすこともなく、枝下ろし作業ができ
る場所に正確に倒す。まさにプロの技だ。                     
 幹を玉切りし、枝を切りはらう。小柄な勝義さんがキビキビと動き回り、あっという間
に杉の解体が終わった。休むことなく、作業は流れるように次の杉に向かう。三人の連携
が見事だ。十何年も一緒にやっているから言葉はいらない。阿吽の呼吸だ。      

 二本目の杉を倒して枝処理をしながら助っ人の小池さんが言う。「残す木に意味がある
んだぃね。我々じゃ最後まで見通した木の使い方はわからねぇ。やっぱり経験だぃね」木
を倒す方向、無駄なくチルホールを使う位置の設定、倒した木の処理しやすさ・・全てが
勝義さんの頭の中で計算されている。                       
 倒した杉の玉切りも見事だった。小池さんが竹に印をつけた尺棒を使って長さを決める
。まっすぐなものは四メートルでひと玉、曲がったものは三メートル・二メートルと短く
して切る。太くても中が腐っているものは柱材にならないので短く切る。道路脇の杉は太
くても芯が腐っているものが多く、材にならないものばかりだとため息をつく。    

計算され尽くした伐倒作業は流れるように進んで行く。 玉切りは、倒した杉の芯が腐っていると短くなる。

 あっという間に四本の杉を伐り倒し、枝処理も終えた。勝義さんは休むことなく動き続
けていた。なんという体力だろうか。身長百五十五センチ、体重五十五キロと小柄な勝義
さんだが、体力は無尽蔵のようだ。すごい体力ですね、と聞くと「ああ、なんせ十六ん時
からこういう仕事をしてるから、鍛え方が違うよ」と笑っていた。          
 そのまま伐採作業が進み、七本目が終わったのが十一時。作業開始から一時間四十五分
しか経っていなかった。すごいスピードだ。                    

 最後の一本を伐る前に勝義さんが車に戻って何やら身につけ始めた。全身用のハーネス
を装着し、腰に太い安全帯を着ける。安全帯の左腰には体を固定するロープが二本も付い
ている。自作のノコナタは常に左腰にある。                    
 両足に装着するのは昇柱器(しょうちゅうき)という木登りの器具。内くるぶし部分に
尖った突起があり、それを木の幹に刺して登るための器具だ。            
 右の腰にはカラビナとエイト環。これには二十メートルのロープがつく。そして伐採作
業用の小型チェーンソーもぶら下げる。総重量十キロ以上の重さになる空師の装備だ。 

 勝義さんがラダーで杉の木に登る。ラダーが大きくしなるが平気でずんずんと登って行
く。その身のこなしに驚いた。ラダーから上は自力で登る。両足の昇柱器の爪を幹に刺し
、安全帯のロープを幹に回して体を固定する。ロープを上にずらしながら少しずつ登る。
枝があると枝の上に二本目のロープをかけ、一本目を外す。その繰り返しでどんどん上に
登って行く。途中の枝をチェーンソーで切り落としながら登って行くのだからすごい。 
 十八メートルくらいある太い杉の木だった。勝義さんの動きをカメラで追いながら、空
師の仕事がいかに危険な仕事であるか実感した。樹上のアクシデントはそのまま事故に繋
がる。事故はそのまま生死に繋がる。万全な準備と確実な技がなければ出来ない仕事だ。
 勝義さんの動きが止まった。安全帯のロープ二本を使って体を固定した。片手でチェー
ンソーを操作し、五メートルほどのトップを伐り落とした。杉のてっぺんがいきなり落ち
てきた。勝義さんはそこから更に三メートルほど降りて、再び体を固定した。チェーンソ
ーを使って幹を伐る動作がはっきりと確認できた。受け口を切り、片手で追い口を切る。
右手でチェーンソーを使い、左手は幹を倒す方向に押している。地上十メートルでの作業
だが勝義さんの動きにためらいはない。三メートルの幹が伐り落とされた。幹は切り落と
したトップの上に重なるように正確に落ちた。素晴らしい。             
 太い枝を次々に切り落とす勝義さん。杉は見る見るうちに枝を落とし、柱のようになっ
た。そして幹にかけたロープを使い、懸垂下降で地上に戻った勝義さん。空師の帰還だ。
 高所での重労働だったはずなのに汗一つかいていないように見えるほど涼しげな顔だ。

地上十メートルでの作業。片手で幹を切り落とした。 牽引ワイヤーを引き上げるためにロープを投げ下ろす。

 チルホールのワイヤーをかけ、根切り伐採をして玉切りという作業を終えて午前中の作
業が終わった。一休みしようということで勝義さんに空師の仕事について話を聞いた。 
 トップを落とす場所は事前に決めているとのこと。道路に落としたりすると木の重さで
アスファルトに穴が空くそうだ。伐る際には重心をよく見極め、自分で押して倒れるよう
に伐る。本当はクレーンで吊り上げながら伐るのが安全なのだが、クレーンが入れない場
所が多いので、今回のような作業になる場所も多いとのこと。「二日も三日もずっと木の
上なんて事も多いんさ」と笑う。                         

 ワイヤーが外れたり、落ちそうになった事もあった。友達の中には二回落ちて仕事が出
来なくなった人もいる。「とにかく、安全第一だぃね。基本に忠実にやる事だぃ。自己流
だと保険も効かないし、基準に沿ったやり方でないと駄目だぃね」          
 会社の定年は六十二歳だけど、働けるうちはやってくれと言われている。若い人への指
導もしているがなかなか難しいという。若い人には、仕事が出来る先輩のやり方をよく見
て、わからない所を聞く事だという。基本に忠実に安全第一でやることだと教えている。

 大滝の川又に生まれ、中学を出てすぐに原生林の伐り出しをした。トロッコでの運搬も
経験している。その後、大滝の三国建設で架線の仕事を多くした。六一歳で三国建設を辞
めてから今の会社山三電業に入った。ずっと山に関わる仕事をしてきて、森の名人として
県知事表彰を受けるほどになった。それでもまだ頼まれる仕事が多く、引退はできない。
「この仕事は楽しいよ」と笑う顔は若々しく、とても七十六歳には見えなかった。