山里の記憶255


ススキ箒:片桐正富さん



2021. 3. 31


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 三月三十一日、春霞で遠くの山が霞み、桜が満開の秩父路をのんびりと走り、児玉町の
太駄(おおだ)まで取材に行った。取材したのは片桐正富さん(六十九歳)で、内容は旺
盛な物作りの精神とススキの穂を使った箒作りについてだった。           
 正富さんは以前から知っている人で、その旺盛で緻密な物作りに関して畏敬の念を持っ
ていた。一度正富さんの物作りに関する熱意を取材したいと思っていて、緊急事態宣言解
除に伴い、連絡して実現した取材だった。ご自宅は二松菴(にしょうあん)というそば処
で、隣に併設している作業小屋での取材になった。                 

 作業小屋には様々な材料と道具・工具が所狭しと積み上げられていて、手工芸の工場の
ような感じだ。中央のテーブルには本日の材料となるススキの穂が山積みになっている。
 正富さんの話はその材料の良し悪しから始まった。「ススキの穂には色々あってね、こ
んな短いのやこんな長いのがあるんだよ・・」と言いながら並べ直したススキの穂。箒の
材料になるのはススキの穂に繋がる芯茎第一節の部分。ススキの茎が一節でこんなに長い
ものとは知らなかったので、まずその事にびっくりした。長いものは一節で一メートル以
上もある。正富さんはそれぞれの長さで仕分けて並べ直している。          

 「穂は十二月から一月にかけて採るんだぃね・・」素材の良し悪しにはその年の天候が
影響する。雨が多い年は黒く黴るので使えない。雪が降ると穂先が折れるので使えなくな
る。晴れの多い年でよく乾燥している穂が状態が良く長持ちするという。正富さんは「今
年は当たり年だよ」と笑う。短い茎の穂は先が硬くボソボソしている。長い茎の穂はサラ
サラと柔らかい。出来るだけ長い茎の穂を探すのだが数は少ないという。       
 ススキの株は一株の直径が三十センチくらいだが、同じ株から採り続けると茎が年々細
くなってしまう。株別れが多くなるのと栄養が行き渡らなくなるからだ。       

 ススキの箒を作り始めるきっかけになった人がいる。松戸にススキの茎で簾を編む人が
いた。節を利用して柄を織り込む技を使っていた。最初はその簾を編もうと思っていたの
だが、穂を束にして箒がわりに使ったら具合が良かった。このことがヒントになり、箒作
りを考えるようになった。直径一センチの束を三本束ねて一本の箒に作ったら、軽くて良
い箒が出来た。これはいいと評判になり、あちこちから欲しいと言われるようになった。
 この箒を東日本大震災の被災地へ救援物資として送ったらとても評判が良かった。軽く
小さいので、身の回りの簡単な掃除や、狭い仮設住宅での掃除に便利だったからだ。スス
キ箒は網戸の掃除が出来るのも良かった。五年間で約七百本のススキ箒を送った。五つの
団体が窓口になってくれた。誰でも簡単に作れるので、これを見本に現地で作る人も出て
きた。窓口になった団体からお礼状をもらい、ススキ箒を本格的に作るようになった。 

正富さんが作ったススキ箒。柄の長さが違うのは茎の長さが違うから。 小川町で見つけた奇跡のススキで作った箒。この長さはこれだけ。

 ススキの穂はかなり広範囲まで採集に行く。群馬県の長野原や奥秩父の滝沢ダム周辺な
どにも行く。標高が高い場所はススキの穂が早く開くので十二月に採集できる。一度小川
で不審者扱いされ、パトカーを呼ばれたこともある。その時は過去最高の長く太い茎穂が
採れたので夢中になっていた時の事だった。その突然変異と思える立派な茎穂で作ったス
スキ箒は今も大切に保管していて、飴色になった立派なススキ箒を見せてくれた。   
 採集してきた穂は日光に当てなければ何年でも持つ。穂先の綿毛を叩き落として何日か
干す。細かい綿毛はなかなか落ちないのでコンプレッサーを使って吹き落すこともある。

 正富さんにススキ箒を作ってもらった。一番長い一メートル以上ある茎穂を一握り取り
分ける。穂の位置を揃えて一センチの太さの束を三つ作る。穂先の曲がりを内側に向ける
ように束ねると箒にした時に具合がいい。束ねるのはビニール巻き針金を使う。ビニール
巻き針金の方が茎を優しく絞れるので使いやすい。三本を束ねる時に結び目を少しずつず
らす。ずらした方が箒の首が折れにくくなる。                   
 三本を一本にまとめたところで穂先の加工をする。霧吹きで水分を与え、しっとりさせ
て板で挟み、十キロ以上ある重石を置いて一晩置く。こうすると天然素材の良さで、穂先
がまっすぐ平らになる。この穂先を太い針金で平らに固定する。白いビニール針金で穂先
を巻き、中央を細い針金で固定して穂の上から金槌で叩いて太い針金を平らに潰す。これ
で穂先が箒の形に広がって固定される。                      
 箒の柄の長さは節の位置で決める。一番短い節のところで針金を巻いて止める。ここで
切り落とし柄の長さが決まる。出来上がった箒の長さが違うのは節の長さが違うから。同
じようでも一つずつ全部違うのは天然素材ならではの仕様だ。柄を三箇所から四ヶ所針金
で止める。ヨレないようにするのと補強の為でもある。柄の尻部分に引っ掛けるための輪
を針金で作る。穂先はハサミで平らに切り揃える。これでススキ箒の完成だ。     

棕櫚の葉を編んで作ったバスケットと一輪挿し。乾くと硬くなる。 竹で作った昆虫の一例。他にカニも竹で作った。毎日四時間かけて。

 正富さんの物作りは素晴らしい。ススキ箒の他にも、竹製の花器、シュロの葉を織り込
んだカゴや一輪挿し、竹製の昆虫模型、煤竹の箸やフォーク、スカリなど全てがプロの出
来栄えだ。何がそこまで正富さんを物作りに駆り立てるのかその原点を聞いてみた。  
 正富さんは元々お金をかけずに物を作るのが好きだった。手先も器用だし、細かいこと
が大好きだった。そんな正富さんが暮らすこの本泉(もといずみ)地区で「自然と語る会
」が倉林先生の指導で始まったのはもう何年も前の事だった。地元の有志何名かで始めた
活動だったが、倉林先生の熱意と地元の素材を使った物作りにすっかり夢中になってしま
った。最初は一年に一回の発表会が楽しみで、主に竹製の花器を作っていた。珍しい形の
竹の根を花器に加工する竹細工で、その姿形が賞賛され、著名な花道家の個展に使われる
ようになった。さらに花器の注文を受けるまでになった。              
 その後、竹で昆虫のクワガタやカブトムシ、カニなどを作るのに熱中した。仕事から帰
って三時間も四時間も集中して細かい昆虫を竹で作った。カニを千匹作ったこともある。

 正富さんが言う。「一つの事をやり始めると他に目が行かないんだよね・・」その集中
力たるや凄まじいものがあるが、「最近は細かい作業ができなくなってねぇ」と笑う。 
 自然と語る会の活動は、自分たちが育った所にあるもので物作りをして子供達に伝えよ
うという活動だった。それは今でも変わらないと言う。竹製の花器もススキの箒も、竹の
昆虫も、煤竹の箸やフォークも全て身の回りにある材料を使っている。「誰でも出来る事
だと思うんだけどね・・」と笑うが、とても誰にでも出来る事ではない。       

 そんな正富さんが今集中している作業がある。スカリ作りだ。スカリは深山に生えるイ
ワスゲを材料に細い縄をない、その縄で編むように織り上げるザック状の袋のこと。様々
な講習会に出席したり、専門の本を探して研究している所だ。正富さんの作業は「このま
までは秩父のスカリが消えて無くなる」と思いからスタートしている。        
 まずは後継者がいない事。そして材料が無くなる事。現状では材料の問題が一番緊急の
課題だ。材料のイワスゲを鹿が食べてしまい、全てが短くなってしまった事だ。本来なら
八十センチくらいの長さに育つイワスゲだが、鹿の食害で二十センチくらいになってしま
っている。これではスカリ編みは出来ない。イワスゲではなくアマスゲにすればまだ材料
は確保できる。なぜか鹿はイワスゲは食べるがアマスゲは残すようなのだ。アマスゲの生
息地を探し、材料を確保することがまずは一番の目標になる。            

スゲで作った細縄。これが全部繋がっている一本だとは信じられない。 一本のスゲ縄で編んだスカリバッグ。把手は竹を加工した。これが何個もある。

 材料が確保できたら、スカリを編む縄作りだ。九月に採集したスゲを重曹を加えたお湯
で煮て乾燥させ、材料として保管する。重曹を加えたお湯で煮ると後で製品がカビないこ
とが分かった。天然素材ならではの一手間だ。                   
 スゲ一枚の葉を二本から四本に細く裂き、縄をなう。縄の太さは三ミリだ。正富さんが
スカリ用になった縄がドラムに巻かれているのを見た。細く均一な目の強靭な細縄が気が
遠くなるほどの量巻かれていた。これが一本なのかと嘆息するしかなかった。正富さんは
この縄を使ってスカリバッグを編み上げている。作業小屋の天井から何十個ものスカリバ
ッグが吊り下げられている。気が遠くなる数だ。この数のバッグを全部一本の細縄で編ん
でいるのだからすごい。正富さんはこの細縄を機械で作れないかと模索している。「だっ
てさあ、この材料の縄があれば誰でもスカリが出来るんだよ・・」だから機械で細い縄が
編めるように工夫しているのだと言う。                      

 スカリは素晴らしい生活の知恵と技が結集した文化材だ。誰でもスカリを作れるように
なればいいし、いつでもスカリが編める材料があればいい。そんな思いからスカリ作りを
正富さんなりに分析し、新しい作り方を模索しているところだ。従来の伝統的な作り方と
は全く違うアプローチでスカリを残そうとしている正富さんの話を聞いていると、こうい
う熱意ある人がいるから伝統は続くのかもしれないと思った。