山里の記憶256


かいぼり:黒沢和義



2021. 4. 27


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 小学四年の時だった。ある7月の天気の良い日に、先生が突然「今日は天気がいいから
川で授業をしよう!」と言った。教室は大歓声が上がり、急に浮き足立った。今と違って
当時の先生はかなり柔軟に授業を差配していたように思うが、この時は本当にびっくりし
た。午前中の授業を赤平川(あかびらかわ)での課外実習という形にしたものだと思う。
 すぐに全員が準備して一列になって川に向かう。学校から国道を渡り、民家の横を抜け
ると川に下る道が急になる。雑草や蔓をかき分けて九十九折の細い道を河原に下る。  

 河原で生徒を集合させ、先生の訓示があったが、浮き足立っている生徒の耳には何も入
っていなかったように思う。河原を下流に歩くと川が二股になっている場所がある。ここ
は子供達も良く知っている場所で、大人たちがよく「かいぼり」をやっている場所だ。 
 先生が「今日はかいぼりをやるから男子は頑張ってくれ」と言うと歓声が上がった。す
ぐに川を渡って対岸の河原から石を運ぶ男子たち。女子は手伝う子もいれば、植物学習と
いう名目の花摘みに走る子もいた。                        

河原に着くと先生からの訓示があった。しかし、誰も聞いていない。 女子は花集めに夢中になる子が多かった。これは植物学習。

 先生は遠くから見ているだけで、実質の指揮者はガキ大将だった。ガキ大将の純ちゃん
が大声で指示を出して石を川に並べる。純ちゃんは大人に混じって何度かかいぼりをやっ
ていたから指示も慣れたものだ。                         
 かいぼりとは、二股に分かれた川の一方をせき止めて川の水を干し、魚を捕る遊びのこ
とで、終わったら元に戻すという約束事があった。純ちゃんはその事も知っていて、石の
並べ方や、水をせき止める草の詰め方などもよく知っていた。            
 まず、大きな石をせき止める川筋の上に並べる。次に手頃な石でその間を埋める。最後
は根付きの草を石の隙間に詰めると水が止まり、流れが変わる。完全に止まるわけではな
いが、徐々に水が引いて魚は石の下に逃げ込む。                  

 男子は必死で石を運ぶ。女子は応援する子もいるし、無視して遊んでいる子もいる。中
にはスカートの裾をパンツの中に入れてブルマのようにして手伝う猛者もいる。男勝りの
女の子が多かったから男子は負けないように頑張らざるを得なかった。小学四年生だと男
子より女子の方が力も強かったし、数も男子の倍くらいいたから、男子は女子の下働きの
ような感じだった。先生も分かっていて、女子がかいぼりするのも笑いながら見ているだ
けだった。今だったら危険なこととして止められるだろうが、当時は大人も子供達も普通
に川遊びをしていた。                              

 二股になっていた川は一方がせき止められ、一本の流れになった。完全にせき止めるこ
とは出来ないので流れは残るが、水量が減った元の川は深いところで子供の膝くらいの水
深になった。距離にして約三十メートルくらいの細い流れに魚がどれだけいるのか。  
 男子にとってはワクワクした期待で胸が高鳴る。最下流では魚が逃げないように門番役
の男子が網を構えて立っている。先生と純ちゃんの合図を待つ間が長かった。子供が入れ
る深さにな理、危険物がないかを点検してからの魚捕りになる。これ以上水が引かないこ
とを確認して先生の合図が出た。                         

当時はよく見かけた女子がスカートをブルマ状にする姿。おてんば系。 魚捕りに夢中になる男子。授業なんてことは頭にない。

 合図が出ると男子たちは濡れるのも構わず川に飛び込んで、石の下に逃げて潜った魚を
手探りで探し始める。石の下の魚は指先で探す。手を突っ込んで全神経を指先に集中させ
る。魚がいると指先にぬるりとした感触があり、そこに向かって手をさらに突っ込む。 
 魚が逃げるのを手だけで追う。魚を捕まえるには頭を掴むことが必要で、胴や尻尾をい
くら掴んでも逃げられてしまう。だから手で追いながら頭が手の中に入るようにする。頭
が手にはいればこちらの勝ちだ。「捕ったぞ〜」と叫びながら握った魚を振り上げて、学
校から持ってきたバケツに放つ。                         

 魚はホンザコと呼ばれるウグイが多かった。カジカやヤマベ(オイカワ)もいた。中に
は刺されると赤く腫れて痛いギンタ(ギギ)もいた。ギンタは頭を掴むと刺すので、手探
りで捕るには向かない魚だが、運悪くギンタに刺された子もいて大騒ぎになった。   
 バケツには様々な魚が入れられて女子が代わる代わる覗き込んでいた。そんな時川で歓
声が上がった。魚捕りをしている足元を大きな魚の影が走ったのだ。その速さと大きさに
男子たちは大騒ぎになった。ガキ大将の純ちゃんが飛んできて、その魚を追いかける。飛
び込んだはずの石から純ちゃんの足元を抜け反対側の石に走る大きな影。踊るように追い
かける純ちゃん。何度か行き来を繰り返し、時間がだいぶかかったが、最後は石の奥で純
ちゃんの手がその魚を掴まえた。                         

 両手で誇らしげに魚を運ぶ純ちゃんのドヤ顔。バケツに放たれた魚は大きくジャンプし
て飛び出した。それを慌てて抑え込んで、再度バケツに入れる。今度は静かにしている大
きな魚には綺麗な模様があった。先生が「これがヤマメだよ」と教えてくれた。二十セン
チはあろうかという大きな綺麗な魚だった。ヤマメを見たのはこれが初めてだった。  
 男子も女子も全員が代わる代わるバケツを覗き込んで歓声を上げる。純ちゃんは腕を組
んで満面のドヤ顔だ。手づかみでヤマメを捕ったのだからそれは当然そうなる。大人でも
難しいヤマメ捕りだったし、子供達も初めて見る子が多かった。           

 一通り全員が魚を見終わると、先生の指示でバケツの魚は川に放流された。授業の一環
なんだから仕方ないが、なんだか勿体無いことだと思ってしまった。ヤマメは持ち帰って
学校の池で飼えばいいのになんて思っていたが、今ではそれが無理なことは分かる。  
 先生の指示でかいぼり用に積み上げた石を崩し始めた。せき止める時と違ってこれは簡
単だった。適当に崩せば水は自然に元の流れに入ってきて二股の川が復活した。この場所
はこの先何度も同じようにかいぼりされる場所だから元のように復活させておく必要があ
った。今度は学校の授業ではなく自分たちだけでやって見たいと思いながら積んだ石を崩
していた。                                   

バケツで捕った魚を観察する。ヤマメを初めて見た子が多かった。 水切りの石投げ。対岸まで届くと見ている子から歓声が上がった。

 河原を歩き、川幅の広いところを渡る。淵の近くで何人かが水切りの石投げを始めた。
河原の平らな小石を選んで横に回転させながら投げると何度も水面でジャンプするのが面
白かった。うまく投げると対岸まで届くくらい何度もジャンプして、見ているみんなの歓
声が上がった。野球をやっている子などはここぞとばかり石投げをしていた。     
 石投げは男子の専売特許で女子はほぼ出来なかった。野球とか物を投げることを男子は
みんなやっていたが、女子はやらないのでその差があったようだ。女子の中には腕いっぱ
いに草花を抱えている子もいた。これはこれで夢中になっていたようだった。     

 かいぼりが終わり、女子の植物採集も終わり、昼が近くなってきたので学校に戻る。濡
れたズック靴は歩く時に中で足が滑って登り坂が歩きにくかった。グチュグチュと嫌な音
もして不快だったが、それはみんな同じで仕方ないことだった。           
 学校では陽の当たる場所にズック靴を立てて干して置いた。午後の授業の間に濡れたズ
ック靴もすっかり乾き、帰りには普通に履いて帰ることが出来た。          

 課外授業の一環での自然学習。先生の狙いは成功したようだ。ヤマメというこんな大き
くて綺麗な魚がこの川にいるんだということを知った初めての経験は未だに色褪せない。
 先生の粋な配慮で実現した川遊びだと思っていたが、こうして大人になって思い返して
みると大切な経験だったと気がつく。                       
 みんなで協力して川をせき止め、魚捕りをする。授業の一環で地元の川に生きている魚
を知る。豊かな自然の恩恵を自分の手で体験する。素晴らしい授業だったと思う。   

 今ではとても望むことが出来ない自由が当時の学校にはあった。先生も教室の授業だけ
では教育は成り立たないと思っていたように思う。勉強だけではなく、体験すること、体
で覚えることが必要だった。身を以て経験するから危険な事も分かるし、先生の言うこと
も聞くようになる。                               
 先生は怒ると平気で叩くし、それが当たり前だった。生徒が悪いことをすれば、しっか
り諭して謝らせた。熱意も愛情もあったように思う。天気がいいから川に行こうなどとい
う教育が出来るような自由もあった。今から思うと別世界の話のようで懐かしい。自然に
囲まれて野山を駆け回った少年時代。学校へ行くのも楽しかった。