山里の記憶259


豆腐作り:黒沢和義



2021. 6. 25


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 子供の頃、豆腐作りは年の瀬の集落行事だった。豆腐は、年に一度お正月の前に近所の
人々が集まって作る特別なものだった。隣の家(我が家の本家)の庭先に共同の窯場があ
った。大きな鍋がかけられる窯場で、この大鍋を使って豆腐作りやコウゾの皮むきなどの
作業が共同で行われていた。                           
 豆腐作りの日が決まると、その朝までに一晩ふやかした大豆を石臼ですらなければなら
なかった。石臼で大豆をするのは時間がかかる作業で、石臼一回転毎に三粒の大豆を臼の
穴に入れてするのだが、三升の大豆をするのは一日がかりだった。水も加えながらするの
で三升の大豆はバケツ三杯の生呉(なまご)になって豆腐作りの日の朝を迎えた。   

 豆腐作りの朝、寒い中を近所の女衆(おんなし)がバケツを手に窯場の前に集まる。口
々に「さみいねぇ〜」などと言いながらモンペにつっかけ、割烹着の作業姿でバケツを持
ってくる。もちろんバケツにはそれぞれの家ですった生呉が入っている。       
 男衆(おとこし)が窯場の前に薪を運び、大鍋の蓋を取り、窯に火を着ける。寒い朝に
窯場の煙突から立ち昇る白い煙がやけに暖かさを感じさせたものだった。大鍋は前日に綺
麗に洗ってあるので、すぐにバケツの生呉を入れる。立ち番の男衆が大きな櫂ともしゃも
じとも言えるような道具で生呉をかき回す。窯の火が強いと生呉が鍋底に焦げ付いてしま
うのでそれを防ぐためだ。火加減は強からず弱からずと微妙に調整する。       

共用の大釜で生呉(生の大豆汁)を焦げないように煮る。 呉汁の熱湯を漉し袋に入れるのは熱くて忙しい作業だ。

 大鍋の生呉が煮立ってくると泡が出てくる。男衆は消泡剤になる小糠をふりかけながら
泡を抑え、煮上がり具合を慎重に見極める。煮上がると大きな声で女衆に声をかける。待
っていた女衆は大きな柄杓で大鍋の呉汁をすくい、バケツに入れた漉し袋に注ぐ。熱湯な
ので「熱い熱い!」などと声を上げながら漉し袋に呉汁を入れていっぱいにし、絞り台に
運ぶ。絞り台は台の上で漉し袋を絞るための台で、下にタライが置いてあって豆乳を集め
るようになっていた。                              
 とても熱い漉し袋を絞るには竹の棒を使った。漉し袋の口を竹に縛り、捻ることで袋の
豆乳を絞った。さらに台の上で竹の棒を両側から持って上から押し付けて強引に豆乳を絞
った。この光景は妙に鮮明に記憶に残っている。大人たちの真剣な動きと熱さと熱気、も
うもうと立ち上がる真っ白い湯気と豆乳の甘い香りが強烈だった。          

 絞り終わると漉し袋の中身をザルに出した。これがおからだ。おからも貴重な食材なの
で丁寧に扱う。おからを出した袋はすぐに洗い、次の豆乳の絞りに使う。袋に豆乳のたん
ぱく質が付着すると布の目が詰まって漉しにくくなるので丁寧に洗い落とす。井戸の水が
冷たいが男衆がゴシゴシとタライで力強く洗っていた。               
 あちこちで湯気が立ち上がる作業風景だったが、子供たちは遠巻きで見ているしかなか
った。熱湯を扱い、失敗できない作業の連続なので子供の出る幕はなかった。手伝えるこ
とも限られたし、邪魔になることを避けて、みんな別のところで遊んでいた。     
 男の子はチャンバラや馬乗りなどの冬の遊び。女の子はゴム跳びやおしくらまんじゅう
で暖まっていた。子守りをしながら見ている子もいた。               

熱いうちに呉汁を絞って豆乳にする。これは男衆の仕事だ。 呉汁が八十度になったらニガリを加える。失敗できない仕事だ。

 絞った豆乳の温度を測る。温度が八十度に下がったらニガリを加えて攪拌する。このニ
ガリを使うのは一番経験のあるお婆さんがやっていた。失敗すると全部の豆乳が無駄にな
ってしまうので、この時だけは空気が張り詰めた。熱いうちに作業しなければならないの
で見ているだけでも忙しそうだった。                       
 攪拌した豆乳はそのままに冷ます。表面に紙を張ることもあったようだが、記憶ではそ
のまま放置していたように思う。二十分も放置すると豆乳がおぼろ豆腐状に固まってくる
。大豆のたんぱく質とニガリの塩化マグネシウムの化学反応で豆腐は固まる。ニガリが多
いと豆腐も苦くなってしまうので失敗はできない。もちろんやり直しはできないから真剣
になる。経験が優先されるのも失敗ができないからだ。               

 豆乳が固まる間に女衆は忙しく型枠の準備をする。五丁用の木箱で、中に濡れ布巾を敷
く。木箱の隅まで豆乳が入るように濡れ布巾を内側ぴったりに貼り付けて準備完了。  
 固まったおぼろ豆腐状のものを柄杓ですくい、型枠の中にそっと流し込む。乱暴にやる
と濡れ布巾が乱れて、出来上がる豆腐も乱れるから、慎重に素早く型枠をおぼろ豆腐で満
たす。濡れ布巾を上に折りたたみ、木枠の蓋をする。型枠から汁(乳清のようなもの)が
落ちるのをバケツで受け止める。この乳清のような液体で髪を洗うと髪にツヤが出ると女
衆が持ち帰って洗髪に使っていた。今でいうトリートメントだったのかもしれない。髪が
ツヤツヤになるのは良いのだが、シラミが出やすくなると若い女の人には不評だった。 
 ある程度蓋が下がったら重石を置いてさらに水分を抜く。重石が重ければ重いほど硬い
豆腐に出来上がる。それぞれ好みの硬さがあったようで、重石の大きさが違っていた。 

 ここまでやってやっと作業は一休みになる。実際には順繰りに流れているので休みは無
いに等しいのだが、重石を置いた後は気持ちが楽になったようだった。全部の生呉が豆乳
になり、木枠に入れられて初めて休憩の時間になった。               
 本家の縁側でお茶を飲みながら雑談する女衆。道具の後片付けをする男衆。それぞれに
安堵感が漂う時間になった。それぞれに「今年の大豆は良かった・・」とか「豆乳の色が
いい・・」などと品評しあっていた。もうすぐ正月だという事も少なからず高揚した気分
の一因になっていたように思う。子供達も周囲にやってきて、豆乳の匂いを嗅いだり、お
からをつまみ食いしたりして、大人の気分も味わおうとしたりした。         

おぼろ状に固まり始めた豆腐を柄杓で型枠に流し込む。 女衆は絞り汁(乳清)で髪を洗うとツヤが出ると言っていた。

 三十分ほど休んでからいよいよ豆腐の出来上がりを確認する。水がすっかり落ちている
型枠から重石を外し、蓋を取る。布巾に包まれた豆腐を慎重に取り出し、水でペタペタと
叩いて濡らしてから布巾を剥がす。真っ白い豆腐が台の上に現れた。         
 「よくできてるよ〜」「いいねえ・・」と歓声が上がる。型枠には一丁ごとに線が刻ま
れていて包丁で線の通りに切れば豆腐一丁が出来上がる。豆腐を包丁で切ってバケツの水
に泳がせる。この時布巾に付いた豆腐の端を食べられることがあった。まだ温かい豆腐の
切れ端の美味かったことは忘れられない。水に放った豆腐は美味しいのだが、徐々に水の
味が強くなってしまう。本当の豆腐の味はこの作った時の温かい味が本当の豆腐だったよ
うに思う。あれは本当に美味かった。大豆の味が濃くてまさに大豆の固まりだった。  

 バケツに放たれた豆腐はそれぞれの家に持ち帰られて正月の料理に使われる。バケツの
水を毎日替えて松の内くらい持たせたような記憶がある。最後はなんだか酸っぱくなって
いたが、普通に食べていた。煮物や味噌汁などに使われたのだと思うが、あまり記憶には
残っていない。バケツの中の豆腐が少なくなって行くのだけは記憶にある。      
 おからは卯の花や煮物に使われて存在感があった。大豆の味も香りも残った美味しいお
からだったのでこちらは好きな料理に変身してくれて嬉しかった。          

 年の瀬の忙しい一日が豆腐作りで終わり、お正月の準備が忙しくなる。餅つきの準備や
お飾りの準備、おせち料理作りの準備などなど各家で女衆が忙しく動く。子供達も気ぜわ
しくなる。お正月は何と言っても待ち遠しいものだった。遠くで働いている兄や姉が帰っ
てくる楽しみ。親戚のおじさんが一斗缶いっぱいのおせんべいを買ってきてくれる楽しみ
。書き初めを書いて近所に配り、駄賃をもらう楽しみ。新しい服を着られる楽しみ。新し
い靴もお正月が履き初めだった。                         
 お正月は一年の始まりで何もかもが新しくなるような気分がする晴れの日だった。華や
かで楽しく希望に満ちた日だった。子供心にもワクワク待ち遠しいお正月。そんなお正月
を感じさせる最初の行事が年の瀬のこの豆腐作りだったような気がする。豆腐作りの湯気
や豆乳の煮える香り。大人たちのキビキビした動きと笑顔がお正月が近いことを教えてく
れた。これが終わればお正月が来る。そんな気分にさせられた。           

 豆腐作りを見ながら子供ながらに感じたことは共同作業の楽しさだった。協力し合う大
人たちの様子は普段見る大人たちと違って楽しそうだった。子供はいつもみんなと遊んで
いたが、大人たちは共同で作業することはなかった。いつも自分の家の事だけをやってい
るのが常で、こうした共同作業はとても稀な事だった。共同作業で楽しそうに動いている
大人たちを見るのも嬉しかった記憶がある。