山里の記憶
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しゃくし菜漬:富田知子(ともこ)さん
2008. 11. 27
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11月27日、吉瀬さんの紹介でしゃくし菜漬の取材が出来ることになった。場所は
小鹿野町の泉田(いずみだ)。専業農家の富田隆夫さん(74歳)が栽培したしゃくし
菜を奥さんの知子(ともこ)さん(73歳)が漬ける。時期的には遅く、他ではほとん
ど終わっているしゃくし菜漬作りだったが、幸い自家用のしゃくし菜漬を作るところを
見せて頂けることになった。
しゃくし菜の正式名称は雪白体菜(せっぱくたいさい)と言い、葉の形が飯じゃくし
(しゃもじ)に似ているため、秩父ではしゃくし菜と呼ばれている。霜が降りてから収
穫されたしゃくし菜は、各家庭で様々な味付けで漬け込まれる。しゃくし菜漬作りは、
秩父地方初冬の風物詩ともなっている。
しゃくし菜は茎が白く長いのが特長で、漬け物にすると、じつに歯切れの良い美味し
い漬け物になる。土産物店の一番目立つところに置いてある漬け物で、秩父土産として
も重宝されている。古漬け状態になったべっこう色のしゃくし菜漬は、塩分を洗い流し
てから刻んで油炒めにして食べるのが美味しい。
専業農家の隆夫さんは、主に夏秋(かしゅう)ナスとしゃくし菜の生産で生計を立て
ている。土地の狭い山里で専業農家は少なく珍しいが、研究熱心で真面目に取り組む姿
が素晴らしい。
しゃくし菜は農協を通じて漬け物会社に販路があり、生産は安定している。種は漬け
物会社から無償提供され、生産に集中出来る環境にある。しゃくし菜の畑は一反部ほど
の広さだが、6.5トンの収穫がある。高齢者事業団の助っ人を頼んだりしない夫婦二
人だけの農業では、この広さと収量が限界だという。
畑に残ったしゃくし菜。これを自家用に漬け込む。
みんなに栽培の要点を説明してくれた隆夫さん。
隆夫さんに栽培の要点について聞いた。「一番大事なんは土づくりだいねえ・・・」
開口一番その言葉が出た。毎年一反部の畑に農協の完熟堆肥4トンを鍬込む。クローラ
ーという機械で散布し、深く耕耘する。肥料は主に元肥で、種まきの10日前に苦土石
灰5袋、化成肥料(有機アグレット888)12袋を散布する。
早い時期に軟腐病の予防などで消毒をするが、これは農協で厳しく決められた基準が
ある。残留などしないよう生産履歴を明らかにしている。害虫は葉もぐりバエ、アブラ
ムシ、コオロギなど。特に葉もぐりバエはやっかいだ。葉脈に沿って侵入するので、葉
が網目状に喰われて白くなる。漬け物材料としては致命的で、これにやられると返品さ
れることもある。害虫防除の殺虫剤散布も生産履歴に明らかにしておく。
種まきは9月2日、4日、7日に分けて蒔いた。以前は8月末にも一回蒔いていたが
温暖化で成績が悪くなってきたのでやめた。しゃくし菜は涼しくないと成長が悪い。暖
かいと病気や虫害にやられることが多くなる。かといって遅く種を蒔くと株が大きく育
たない。この地区では、ほとんどの農家が9月1日から7日の間で種を蒔いている。
畝間は60センチ、筋蒔きにする。本葉3枚くらいの時に一回目の間引きをする。3
0センチくらい成長したら2回目の間引きをして、株間10センチくらいにする。しゃ
くし菜は密生させると株が大きく育たないので間引きは重要だ。
「お父さんがあんなにいっぺえ蒔くもんだから、間引きが大変なんだよ〜ってあたしが
怒るんさあ・・・」と知子さんが笑いながら茶々を入れる。
二回目の間引きが終わったら専用に改造した中耕用の管理機で中耕する。この管理機
は60センチの畝間を耕耘するために車輪の幅を30センチに詰めた特別なものだ。
順調に育てば50〜60日で収穫、出荷となる。今年は10月22日に収穫と出荷を
始めた。収穫は大きいものから行うのだが、二人だけの作業なので重労働になる。特に
一束5キロに計るのが大変だった。昔は一束ずつ計ったが、今では入荷先で全部まとめ
て計ってもらうことで楽になった。1日二人で300束を作るのが限界だ。4日続けて
1200束を出荷すると作業が終わる。今年は1250束、総重量6.5トンのしゃく
し菜を出荷した。出荷が終わり、畑に残ったしゃくし菜で自家用の漬け物を作ることに
なる。ここからは知子さんの出番になる。
これは漬けて一晩おいたもの。こんな感じに重ねていく。
知子さんが漬け込みを見せてくれた。一株に一握りの塩を振る。
畑で収穫したしゃくし菜は、包丁で根を切り取り、黄色い葉や悪いところを取り除き
、そのまま二日間くらい畑で並べて乾燥させる。大きなものは二つに割ったり、四つに
割ったりして、切り口を上にして日に当てる。こうすることで甘みが増し、柔らかくな
る。柔らかくなると細長い茎は漬け込むときに折れにくくなる。
樽の底に塩を振り、しゃくし菜は一株に一握りの塩を振りながら揃えて並べていく。
塩は普通の市販のものを使っている。長い期間漬け込むので塩が強いくらいが良い。株
元が太いので交互になるように並べ替えながら最終的に平らになるように漬け込む。
この時、各家庭で様々なものが味付けとして漬け込まれる。知子さんは米ぬかを入れ
たが、他にも刻んだとうがらし、昆布、干した柿の皮、ゆずの皮などが漬け込まれる。
樽にしゃくし菜を入れ終わったら中蓋をして上に重石を置く。重石はしゃくし菜の重
量の二倍の重さが良いとされている。漬け込んで三日くらいで水が上がってくるので、
その頃から重石を軽くしていく。水が上がらないとかびることもある。ビニール袋に入
れて漬け込む人もいるが、知子さんは使わない。漬け上がると大きさは五分の一くらい
になってしまう。
昔からしゃくし菜は青菜の無くなる3月から4月にかけて食べられたものだった。漬
け物としては白菜漬けやたくあん漬けもあり、白菜やたくあんの方が美味しいので、ど
うしても先にそちらを食べてしまうことになる。しゃくし菜は後回しになってしまうの
だ。3月頃になると、しゃくし菜は古漬け状態になっており、色はべっこう色になって
いる。これをお湯や水で洗い、塩分を落としてから様々な料理に使った。主に油炒めで
食べられることが多かったが、他にもたらし焼きや混ぜご飯、お茶漬けなど用途は広か
った。山里の貴重な野菜の保存食だった。
戦前、海苔が貴重品だったころは山仕事に行くときに、しゃくし菜漬の葉でおにぎり
を巻いて弁当にしていたという。今でもお饅頭やお焼きの餡としてしゃくし菜は使われ
、秩父の味として各地で人気のファーストフードになっている。昔で言う「小昼飯(こ
じゅうはん)」の名脇役だったわけだ。
漬け終わったしゃくし菜の上に米ぬかを撒き、更に塩を振る。
平成3年に建てた二人の家。軒下には吊し柿が下がっていた。
外で作業していたら寒くなってきたので、一段落したところで家の中に入った。部屋
に上がって炬燵に入ると、暖かさで生き返るようだった。「こんなもんしかねえんだけ
ど・・・」と言いながら知子さんがお茶と白菜とナスの浅漬けを出してくれた。これが
何とも美味しかった。特に白菜の浅漬けは絶品で、何度も口に運んでしまった。
炬燵で隆夫さんと知子さんにいろいろな話を聞いた。隆夫さんはもともと荒川の出身
で養子としてこの家に来た。籍を入れるのが後回しになり、同級生などからは未だに旧
姓で呼ばれている。知子さんは上吉田で生まれて育った。4Hクラブの活動で知り合い
、双方を知る人が間に入って結婚することになった。今年でちょうど結婚50周年にな
るという。3人の子供を育て上げ、金婚式を迎えたことになる。素晴らしい。
長く養蚕農家として営農してきたが、時代の流れとともに養蚕は衰退し、桑畑は無用
の長物と化した。桑畑の桑を抜いて畑にして、ナスの栽培を始めた。夏秋(かしゅう)
ナスの生産農家として営農し、研究熱心な隆夫さんは、共進会で一等を取るようになっ
た。忙しい農業経営の傍ら、その真面目さを信頼され農業委員などを歴任し、3期ほど
会長も務めた。忙しい毎日で、家を預かる知子さんは本当に大変だった。
「毎日毎日忙しい忙しいで、家のことは人任せで、ずいぶん大変だったんよ」と笑う。
しゃくし菜は漬け物だけでなく様々な料理に使われる。隆夫さんは栽培農家として秩
父農高(秩父農工科学高等学校)にしゃくし菜を提供して調理実習をしたことがある。
農高フードデザイン科の調理実習は卒業時に調理師免許が取れるほど本格的なもので、
生徒は皆真剣に取り組んでいた。何種類も出来たしゃくし菜料理はどれも美味しかった
。何より、生産者として「こういう人がしゃくし菜を作っているんですよ」と紹介され
たことが嬉しかったという。
「生産者冥利に尽きるってもんだいねえ・・・」と隆夫さんはニッコリ笑った。