山里の記憶
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お正月飾り:松井若雄(としお)さん
2008. 12. 30
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暮れも押し詰まった12月30日、お正月飾りの取材で神川町上阿久原に向かってい
た。旧神泉村役場を過ぎると道は山道となる。杉林の山道をカーブを繰り返しながら奥
へ奥へと進んで行く。山道を4キロほど登った所に、忽然と集落が現れた。目的の場所
住居野(すまいの)だ。この地区の旧家に暮らす松井若雄(としお)さん(70歳)が
昔からの正月飾りを守っていると聞いて取材を申し込んだ。飾り付けをするのは30日
の決まりだということで今日の取材になった。
梁の立派な大きな家は秩父事件の年に建てられたもので、昔は地頭所の役宅にもなっ
ていたという。日射しの暖かい庭に、テーブルとベンチがあり、そこで話を聞いた。
この家になってから若雄さんで六代目になるという旧家だ。お正月飾りなどの家例は
おじいさんが熱心に教えてくれ、それを守っているのだという。若雄さんに松井家の正
月行事を聞くと、松井家のお正月は12月25日から始まっていた。
若雄(としお)さんの家は道から見上げる高いところにあった。
縁側で飾り物を点検する若雄(としお)さん。
12月25日:氏神祭り。お松迎え→松飾り用の松と杭に使う栗の木を、明けの方角
の山から伐ってくる。どの山から採っても良いとされているが、今は自分の山で伐る。
12月27日:お飾り用のしめ縄作り。松飾り作り。
12月30日:小豆飯を食べる。しめ縄、お飾りの飾り付け。本日取材詳細は後述。
餅つき。白餅、きび餅、小豆餅をつく。
12月31日:晩に神棚に吊しものを飾る。年越し蕎麦は食べない。
1月1日〜3日:三が日は蕎麦を打って食べるのが家例。三重ね餅(白餅、きび餅、
小豆餅)を神棚から下げて三が日の朝食べる。
1月2日:当主による若水取りとお炊きあげ。
山入り→明けの方向の山に入り、小正月用のオッカド、竹を切ってくる。
1月1日〜7日:松飾りを飾った神様に毎朝ご飯を供える。栗の杭の上に置く形で供
える。これは子どもの仕事だった。門松から始まり、5〜6カ所に供え、最後はお蒼前
(そうぜん)様に供えるのが決まりだった。
1月7日:七草粥を食べる。
1月13日:お飾りを小正月の飾り物と取り替え。だるまを児玉の虚空蔵様で買う。
1月15日:小正月。小豆粥を煮て、オッカドで作ったハラミ箸で食べる。熱い粥を
吹くと「大風が出る」といって吹き冷ます事は禁止されていた。ハラミ箸はしめ縄の紙
垂(しで)で作ったコヨリのヒモで十字に結び、軒先に刺す。
1月20日:20日正月でお正月の行事が終わる。
こうして書いていてもめまいがするような内容だ。これだけの内容を奥さんと二人だ
けの家で毎年繰り返す。家例とはいえ、負担に思うことはないのだろうか。若雄さんは
「それでもずいぶん手を抜くようになったんだよ」
「おじいさんと一緒にやってた時は、飾るだけで一日がかりだったからねえ」
熱心に家例を伝えてくれたおじいさんを思い出すように話してくれた。
若雄さんは丹生(たんしょう)神社から届けられたお札と御幣(ごへい)で歳神様を
作り始めた。木の台にお札と御幣を竹の棒で立てたものが歳神様となる。木の枠にしめ
縄をつけ、紙垂(しで)を下げたものが歳神様のしめ飾りとなる。出来上がった歳神様
を神棚に祀る。昔は正月の神棚は別に設けたのだが、今は他の神様と同じ神棚だ。
神棚には大神宮用のしめ縄も張る。松井家の神棚には大神宮を正面に、左に出雲大社
、右に榛名神社と丹生神社が祀られている。以前はお勝手にあったという恵比寿様と大
黒様も神棚の隅に祀られている。
入り口の門松にお正月飾りをつける。
神棚の大黒様には「大黒締め」というしめ飾りをつける。
神棚を皮切りに、家の各所に置かれた神様のお取り替えと、お飾りの取り付けが始ま
った。天道柱の神様、水神様、便所神様、おかま様、風呂神様、家の裏手の氏神様の神
様が新しい御幣と取り替えられた。
今度は門松を皮切りに家の各所にお飾りを取り付ける。門松、水神様、玄関、納屋に
お飾りをつける。神棚の大黒様には大黒締めという特別なしめ縄を飾る。神棚中央と神
棚の下の仏壇にもお飾りをつける。お正月なのに仏壇にも飾るんですか?と聞いたら
「お正月だかんねえ、仏様にもお供えしなくちゃねぇ」と明るい返事が返ってきた。
家の外に出て、裏の氏神様にお飾りをつける。氏神様は若宮八幡様が祀られている。
武家の神様だ。次は家の横の道を山に向かって歩き、先祖代々の墓の前に栗の杭を立て
て、お飾りを飾った。
お飾りを取り付けるのは栗の杭と決まっている。その木は12月25日のお松迎えで
山から取ってきたものを使うことになっている。また、外に飾るお飾りには青物として
カシの枝を一緒に付けることになっている。お飾りにはミカンを付けているのだが、鳥
が食べに来るので困ると笑っていた。こうして家の内外にお飾りを付けるのに2時間く
らいかかった。
作業が一段落したので庭のベンチで若雄さんにいろいろ話を聞いた。ちょうど奥さん
の澄子(すみこ)さん(72歳)が買い物から帰ってきたので、一緒に話を聞いた。
澄子さんは鬼石(おにし)の出身で、27歳の時に25歳の若雄さんと結婚した。
澄子さんは農家の出ではなかったので、ここ住居野での暮らしは大変だったという。
「何が大変だったって、とにかく、夜が真っ暗なことと、買い物が出来ないことだった
いねえ。道はみんな細いし、火を燃したことすら無かったんだからさあ・・・」
昭和40年に車の免許を取るまでは不便な暮らしが続いた。そんな暮らしの中でも、
子供は3人恵まれた。子供達は4キロの道を歩いて通学した。毎日午後3時には澄子さ
んが迎えに山道を降りていくのが常だった。その子供達も今では大きく育ち、立派な社
会人になっている。
昔は薪炭作りが主な仕事で、20町歩の山林は生活に欠かせなかった。瓦屋さんが瓦
を燻すのに杉の生葉を必要としていたので、枝打ちをした生葉が売れた。冬は冬で杉の
枝はボヤで売れた。日向(ひなた)の山はナラやクヌギが生えていて、椎茸のホダ木や
炭焼きに伐りだした。山は生活に必要な多くのものを生み出してくれた。この家には今
でも薪小屋があり、お風呂は薪で湧かしている。
しかし、燃料が石油に変わり、薪や炭の需要が無くなると山に入る人も少なくなり、
手入れが出来なくなってきた。山里は大きく様変わりしてしまった。
今、澄子さんはいぶりがっこを作っている。いぶすのに10日間もかける本格的なも
のでじつに美味しい。農村女性アドバイザーにも任命されていて、本庄市役所で開かれ
る『かあちゃんの夕市』では、自慢のいぶりがっこの他にきゃらぶき、山椒の佃煮など
を販売して好評を博している。
蕎麦も作っていて、あちこちに蕎麦打ちを教えに行くほどの腕前でもある。松井家の
家例では、正月の三が日を蕎麦で過ごすことになっているのだが、澄子さんの蕎麦打ち
の腕前はそんな事からも鍛え上げられたのかもしれない。
吊るし物のゆずとミカンにヒモをつけた。
いぶりがっこを食べながら、庭でお二人の話を聞いた。
家の中の最後の飾り付けが始まった。神棚の下に棒が渡してあり、そこに様々な物に
半紙の傘を付けて吊る『吊るし物』だ。この吊るし物は家々によって、様々な形が伝承
されているのだが、若雄さんは干し柿、田作り、スルメイカ、海苔、ユズ、ミカンを吊
った。なぜこの種類になったのかを聞くと
「な〜に、海のものと山のものを並べただけさ・・・」という答えが返ってきた。
こうして午前中の飾り物付けは終わった。午後は家の外にお飾りを付けに行く。丹生
(たんしょう)神社、天王様、お諏訪様、稲荷様にお飾りを付ける。1月の17日には
4箇所の山の神に切り上げと御神酒を上げる。
「まったく、もうよしゃあいいのにって言うんだけど、続けるって言うんだいねえ」
澄子さんが笑いながら言うのを、若雄さんも笑いながら聞いている。
淡々と続けることの難しさは良く分かっているつもりだ。本当に素晴らしい家例だと
思う。こうした家例が続いていくことがいかに豊かなことか。本当にいつまでも続けて
欲しいと願う。いぶりがっこをお土産に頂き、心温まる取材を終えた。