山里の記憶46


もろこしまんじゅう:笠原ヒデ子さん



2009. 4. 12



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 4月12日、有名な清雲寺のしだれ桜が満開で、大勢の観光客でにぎわっていた。そ
んな荒川地区にある笠原ヒデ子さん(72歳)の家に伺ったのは、もろこしまんじゅう
作りの取材の為だった。ヒデ子さんが矢尾百貨店の原画展に来場されたときに、もろこ
しまんじゅう作りの話で盛り上がり、トントン拍子に取材の話になった。原画展が終わ
り、一段落したところで今日の取材になった。                  

 ヒデ子さんの家に着くと、ご主人の一二(いちじ)さん(74歳)が出迎えてくれて
家の中に招かれた。3人でいろいろな話をしたのだが、ヒデ子さんがじつに色々な事に
挑戦している人なので驚いた。玄関に掛かっていた水彩画に始まり、室内に置いてある
多くの植物画はヒデ子さんが描いたもの。細く丁寧に編まれた自作のスカリバッグが3
点。陶器も自分で作る。花瓶やお線香立て、湯飲みも自分で作ったもの。おかめ笹のカ
ゴやザルも自分で作り、おまんじゅうや手打ちうどんを盛って楽しんでいる。話を聞い
ているだけで目がまわりそうになる。今はフラダンスまでやっているそうだ。    

秩父市荒川、日当たりの良い畑から見たヒデ子さんの家。 居間に掛けてあるヒデ子さんの水彩画。

 一二さんが笑いながら「公民館で何か教える教室があると、何にでも参加するんだい
ね」と笑いながら言う。ヒデ子さんは「素人なんでねえ、自分で楽しむだけなんだけど
色々作るんが好きなんだいね」と明るい声であれこれ説明してくれた。陶器やスカリな
どは素人とは思えない本格的な出来上がりで、一人で工芸展が開けるのではというくら
いの出来映えだった。そのうち矢尾で個展を開くかもしれない。          
 ちょうど昼時になり、ヒデ子さん手打ちのうどんと茹でたのらぼう菜、天ぷらが食卓
に並び、ごちそうになった。うどんは地粉の太麺、秩父のうどんだ。地粉の味をかみし
めながら美味しいうどんを味わった。食事中も楽しい会話が続いていた。      

 昼食後、いよいよもろこしまんじゅう作りが始まった。ヒデ子さんから渡されたメモ
にレシピが記されていた。約24個分のレシピだ。材料は小麦粉600g、とうもろこし粉
300g、重曹30g、酢50cc、砂糖200g、これを熱湯で耳たぶくらいの固さにこねる。
 餡は前日に用意した小豆餡としゃくし菜炒めの2種類が準備されていた。小豆餡の砂
糖は玉砂糖を使い、さわやかな甘さを心がけている。しゃくし菜は唐辛子を効かせたピ
リ辛のものを準備した。                            

 材料をコネ鉢に全部入れて、粉の状態で全体が均一になるように丁寧に両手で混ぜ合
わせる。酢と重曹が反応して泡が出るが、構わず混ぜて全体を均一にする。     
 ヤカンで沸騰した湯を少しずつ加えながら左手に持ったしゃもじで混ぜる。熱湯なの
で最初は手で混ぜられないので、しゃもじを使う。熱湯を注ぎ混ぜ始めると、もろこし
粉特有の香りが立ってくる。懐かしい昔嗅いだことのある香りだ。そういえば、昔おふ
くろがもろこしまんじゅうを作っている時もこの香りが漂っていた。        
 お湯の量はこねた後の固さに直結するので、慎重に加える。しゃもじで混ぜるが、こ
ねるのは手でやるので火傷しないように気を付けなければならない。熱い状態でこねな
いともろこし粉は粘りが出ないので、手早く熱さを我慢しながら両手でこねる。柔らか
かったら粉を加えて調整する。最後に生地が均一になって、適当な固さになったら作業
は終了。あまり柔らかいと餡を包んだときにへたるので、耳たぶくらいの固さにする。

ヒデ子さんが作ったスカリバッグ。素晴らしい出来映え。 生地で餡を包む。しゃくし菜は先をつまんで形を変える。

 出来た生地を3等分し、さらにそれを8等分する。半分、さらに半分、さらに半分に
すると8等分になる。蒸し器に8個ずつ入れ、3回蒸せば出来上がる。       
 8等分した生地を両手を使って平らに伸ばし、中央に餡を乗せチューリップの花のよ
うに包む。包んだ口を最後に小麦粉をつけて下に向けて置く。付けられた小麦粉は蒸さ
れて固まり、接着剤の働きをする。小豆餡のまんじゅうは丸く作り、しゃくし菜餡のま
んじゅうは上をつまんで形を変える。こうしておけば食べるときに間違えない。   
 蒸し器にクッキングシートを敷いて、まんじゅうを乗せる。出来上がると膨らむので
出来上がった時に隣どうしがくっつかないように注意する。蒸し器の蓋をして13分蒸
すが、まんじゅうの大きさによって12分くらいの時もある。ヒデ子さんが言う   
「昔は濡れ布巾とか湯ぎぬを使ってたけど、今はクッキングシートってえ便利なもんが
あって助からいねえ。洗う世話がねえんだから」便利なものは何でも利用する。   

 まんじゅうを蒸している時間に、一二さんに縁側で話を聞く。縁側には春の暖かい日
射しが柔らかく差し込んでいた。一二さんは枕に入れるソバ殻を干して選別していると
ころだった。使っていたフルイには昭和5年10月1日の日付が入っている。昔、お父
さんが買ったときに書いたものだ。長く使っているのに、まだ現役で活躍している。
 ヒデ子さんが入れてくれたお茶を飲みながら昔の話を聞いた。一二さんは郵便局員だ
った。生活は安定していたが、ご多分に漏れず厳しい暮らしだった。一二さんもヒデ子
さんも口をそろえて「普通の生活だったいねえ、これといった変化も無かったし、小説
になるような事は何にも無かったいねえ・・・あはは」と笑う。          
 同じ村で生まれた二人は、一二さん26歳、ヒデ子さん24歳で結婚し、3人の子供
を育て上げた。昔は、皆同じように貧しくて、同じように腹を減らしていた。時には大
変なこともあったはずだが、それをことさら口にしないのも、穏やかな二人の性格をよ
く表している。すべてを受け入れて、前向きに生きている二人の会話だ。      
「人生は日々の暮らしにある」というヒデ子さんの言葉が印象に残った。      
「例えればスミレの花かしらね〜」笑いながらヒデ子さんが言う。スミレの花は可憐だ
が、その根はじつに丈夫でしぶとい。畑に生えるとじつにやっかいな雑草となる。もち
ろん畑をやっているヒデ子さんの例えだから、根の部分を意識しての言葉に違いない。

日当たりの良い庭でそば殻を選別している一二(いちじ)さん。 もろこしまんじゅうが蒸し上がった。これはしゃくし菜餡の方。

 まんじゅうが蒸し上がった。蒸し器の蓋を取ると、湯気の中からまん丸に膨らんだも
ろこしまんじゅうが現れた。出来上がりの熱々を一つ割って食べてみる。小豆の粒餡が
輝き、湯気がもろこしの香りを運ぶ。口に頬張ると、生地のざらっとした食感と餡の爽
やかな甘さが渾然一体となって舌の上に踊る。昔食べたもろこしまんじゅうとまったく
別の食べ物がそこにあった。 「これは、旨い・・・」              
 昔食べたもろこしまんじゅうはこんなにフワフワしていなくて、ザラザラして固かっ
た。もちろん、粉も違うし作り方も違うのだから味が違うのは当たり前なのだが、この
もろこしまんじゅうは美味しい。もろこし特有の嫌な匂いが無い。         
 もう一つ、今度はしゃくし菜餡のまんじゅうを食べてみた。皮がほんのり甘くて、し
ゃくし菜のピリ辛と絶妙にマッチしていて、これもじつに美味しい。食べ比べてみると
、しゃくし菜餡の方が秩父のおまんじゅうとしては、風土に合っているかもしれない。

 ヒデ子さんにもろこし粉について聞いてみた。近所の農家で粉用のトウモロコシを栽
培していて、それを粉にして分けてもらうとのこと。昔食べたもろこしと味が違うのは
、品種が改良されて味が良くなっているのかもしれない。そういえば昔のもろこしはカ
ラスも食べないようなものだった。とにかく、昔のもろこしまんじゅうは不味かった。
「子供の頃遊びに行った家で『おまんじゅうだよ』って言われて『わ〜い、おまんじゅ
うだ!』って喜んだら、もろこしまんじゅうで、冷めてたんで食えなくて、中のアンコ
だけ指でほじくって食べて、皮は縁側の下に投げたことがあったっけ。冷めたのは本当
に不味かったいねえ・・・」とヒデ子さんも笑いながら話してくれた。       

「冷めたもろこしまんじゅうは囲炉裏の灰にくべて焼いて、マッコで灰をはたいて食っ
たもんだったいねえ・・」(マッコ:囲炉裏の縁の木枠部分)           
 時には焼きすぎて炭になった部分を削って食べたりしたものだった。こんがり焼いた
ものはそれなりに食べられたが、冷めてカチカチになったもろこしまんじゅうは食べら
れたものではなかった。                            

 最初のまんじゅうが冷めたのでトースターでこんがりキツネ色に焼いてみた。高温で
5分ほど焼くと、香ばしい香りが漂ってきた。畑のしゃくし菜をザルの上に敷き、焼い
たまんじゅうを上に乗せて写真を撮る。しゃくし菜の緑とキツネ色のまんじゅうのコン
トラストがいい。ヒデ子さんは「カニ色に焼くと美味しい」と言っていた。     
 焼いたまんじゅうを食べた。蒸したても美味しかったが、焼きたても美味しかった。
懐かしい味でもあり、新しい味でもあり、美味しいもろこしまんじゅうを4個も食べて
おなか一杯になってしまった。