山里の記憶56
鹿猟の記録:廣瀬利之さん(特別寄稿)
2009. 8. 16
昔の大物撃ちを取材した廣瀬利之さんに、資料として一冊のアルバムを見せられた。
そこには50年前の鹿猟の様子が写真入りで克明に記録されていた。写真も文章も貴重
なもので、お願いしてここに掲載させて頂くことにした。50年という時間をさかのぼ
る素晴らしい記録なので、ぜひ読んで頂き、昔の猟の世界を感じて頂きたい。
文章も素晴らしい文章なので、かな表記を含めて原文のまま書き写した。このような
素晴らしい先達の記録に触れることができたのは望外の幸せであり、秩父の出身として
誇りに思うものです。
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鹿猟の記録(昭和28年から30年にかけて) 廣瀬利之著
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冬・・・秩父の山々 |
朝に夕に仰ぎ見る周囲の山々ーーそれらは果てもなく移り変わる人の世とは対照的
に千古の神秘に閉ざされている。そしてその鬱蒼たる原生林、峨々たる峻険に眼を向
ければ其処には鹿、熊、カモシカ等が昔ながらに遊びたわむれて居るのである。
奥山にもみじ踏みわけ啼く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき・・と故人の詠めるーーまこ
とそれは可憐であり、詩的である。が一転して能動的な面を考える時、そこに鹿猟が
ある。
鹿猟ーーそれは何と云ふ男らしい遊びであらう。奥深く入り込み、未踏の山々を彷
徨って獲物を追い出す爽快味、峻険、草木と悪戦苦闘の末獲物を仕留めた喜び等々ー
ーようやく求めたカメラで鹿猟を一連の記録として何とか写したいとの念願が凝り固
まって、何とか見られそうなものをここに集めることが出来た。
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猟犬は友 |
暗いうちの出発 |
1.暁暗の出発
鹿猟は日帰りで遠く四里五里の奥山に入ることが多く、こうした場合は一般家庭で
朝餉の支度にかかる人が起きるか起きないかという時にもう家を出る。寒風に吹き曝
され、眠気を克服して出掛けるのも(好きな)道楽なればこそであろう。
猟師仲間でよくこう言うーー”狩猟の楽しさは、やったものでなければ判らない。金
銭問題ではできないことだ”と。いわんや朝の早立ちもさることながら、道なき原生林
を縦横無尽に跋渉する労苦を経験すること於いてをや。
2,作戦を練る
寒い、眠いと云う感じも夜が白々と明けると共に一掃されてしまい、只爽快の一語
に尽きる。やがて猟場が近づいて来ると一休みしながら誰が勢子(せこ:追い出し役)
に行くか。何う云うコースをたどるか、達場(たつば:待ち伏せ役)は誰で何処に行
くかを相談し、獲物はどの辺に居そうだなどと緊張の中にも想像し合うのも楽しいこ
とである。(註)場所によっては勢子だけ早目に出掛けて行く場合もある。
3,犬の動勢
こうして休んで居る間でも犬は一寸した物音にも聴き耳(ききみみ)を立て其の方
向を凝視する(写真左)。獲物らしいにおいがすれば、このように鼻を上げて何にも
臭いと云った表情をするものである。(写真右)
強い風がこのにおいを運んで来る時は、後股で立って(伸び上がって)丁度チンチ
ンをするようにして嗅ぐこともある。
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猟犬は絶えず音を聞き、匂いを嗅いでいる。 |
獲物の匂いがするのか・・・ |
4,獲物探索の諸条件
鹿を追い出すには次のようなことがらを参考資料にする。
イ)食物とする草木の「はみ」(喰み)
ロ)鹿の寝床
ハ)角(つの)こすり
ニ)鹿の足跡
ホ)鹿の糞
これらの条件が多ければ多い程、また新しければ新しい程、獲物の近在することが立
証されるのである。
4・イ・A、食物:すげ
一年中存在し好物でもあり常食とする「すげ」(写真左)。これらを食べた跡を”は
み”と云ふ。勿論これは動詞”喰む”の名詞化したものである。鋭利な刃物で切ったよう
なものや筋だったもの、或いは又直角に食いちぎったものと斜(はす)に食ったもの
等色々で、本鹿、かもしかの食べ方に差異があると云はれるが、中々その識別は困難
である。
4・イ・B、食物:すず(熊笹)
”すげ”同様鹿族の主食となるものであるが、その広汎な分布と密生する量から推せ
ば、彼等の主食の最たるものであらう。60年を樹齢(?)として枯死するとは云は
れるが、紫色の花が咲き、実がなればその前兆である。人も犬も入り込めないような
物凄いまでに密生した広大なすずと(すずの原)が到る所散在し、彼等のこよなき巣
ーー安住の地となって居る。
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スゲの喰(は)み跡。鹿のもの。 |
スズタケの原。鹿の餌であり隠れ場所でもある。 |
4・ロ鹿のねどこ
深い雪中では凹むだけだが、そうでないと体温で雪が溶け地面が露出する。雪の無
い時でも慣れればそれとなく判るもので、よく見れば毛が落ちているものである。用
心深いと云うか彼等は必ず警戒に便な見通しの利く処に寝るものである。(註)追は
れて疲れている鹿は必ずしもそうでなく、雨のかからぬ岩下などにも寝ると云はれて
いる。
4・ハ角こすり
彼等の最大の武器は有形的には「角(つの)」、無形的には「逃走力」である。角
を有するものはこのように木の皮を擦りむく程角先をこすり光鋭ならしむることを常
に怠らない。奥山の人工植林もこれがため枯らされることがあるが、集団的に行はれ
た場合の被害は馬鹿に出来ないものがある。
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鹿の寝床跡。 |
鹿が角こすりしたヒノキ。枯れてしまう。 |
4・ニ足跡
足跡の大小は獲物の(体躯の)大小でもある。そして素人目には皆同じに見えても
本鹿とかもしかでは違っている。本鹿のは先端が光り、かもしかのは二本の爪がほぼ
平行して下駄の歯の如くである。(写真左)本鹿の足跡(写真右)かもしかの足跡。
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鹿の足跡。 |
かもしかの足跡。 |
4・ホ・A糞:鹿
一見一様に見えても雄鹿のものは短かくて砲弾形、雌鹿のものは心持ち長く卵形で
ある。古いものは乾いて居り新しいものは表面につやがあって潰して見てもやわらか
いから素人目にも直ぐ知れるものである。そして、それ等の大小、も又体躯の大小と
正比例する。写真(左)は雌鹿の糞
4・ホ・B糞:かもしかの溜め糞
同類でも”かもしか”のそれは何ちらかと云えば、雌鹿のものに似て楕円形であり、
更に尻癖がよいと云うべきか、実に幾升も量れる程一ヶ所に溜めて置くものである。
かもしかは逃げる範囲が比較的狭く、その経路の一部としてこうして自分で排便し
た箇所を遍歴するのもおもしろいことである。
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雌鹿の糞。 |
かもしかの溜め糞。 |
5.猛然突進する犬
犬の嗅覚は誠に驚くほど鋭い。獲物が近いと知った時は猛然と飛び込んで行き極度
に接近している時は「ヒ、、、、」と今にも吠えんばかりのうめき声を発しつ、突進
するもので、思はず銃を固く握りしめる。
6,勢子の労苦
如何に好きであり道楽とは申せ之は又危険この上もない。道のある処なら兎も角、
多くは鬱蒼たる原生林そして急峻な山肌である。木の根、岩角を頼りに、一歩あやま
れば良くとも怪我は免れないような難所を幾度となく克服しなければならない。(写
真左)
深い雪中の苦闘も更なり。一歩踏み出し、踏み付けては、次の足を放り出すように
しての歩行は遅々として進まず、全身汗となって”寒さ”という観念はなくなる。
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崖を登る勢子。 |
雪の中を登る勢子。 |
7,尾根すじに出る
やがて獲物を見つけた犬はあたりのしじまを破って烈しく咆哮する。ああ、この声
この瞬時こそ勢子の最上の喜びであり「たとえ獲物は取らずとも、この犬の吠声を聞
くことによって、今までの労苦も忘れ狩猟の満足感にひたることが出来る」と長老達
は口癖のように言う。追い出した后、勢子は一般に高い尾根すじに出て、犬を追って
行く方向を確かめるのが常識である。
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尾根に登り、犬を探す勢子。 |
8,鹿の脱毛
糞や足跡の不明瞭なため素人のうちは追い出した獲物が本鹿かかもしかかの判別に
苦しむことが多い。この「判断すること」の必要性は、その何れかであることによっ
て、勢子のそれからの動作が自ずから違うことにある。こんな時は障害物に当たって
脱落した毛が大いに参考になるものだ。かもしかは中々脱毛しないが、本鹿はこのよ
うにごっそり落ちる場合がある。(雪中にて)
9,鹿道
蟻の這い出る隙間もないと云ふも過言でない程密生した「すず」の中に、このよう
に歩道とまがうばかりの鹿道がある。彼等が永い世代にわたって踏みこかした所産で
あり、自らの移行に役立つばかりならよいが、当面の敵ーー人や犬の行動に利用され
るのは余りにも皮肉と云うべきであろう。
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鹿の脱け毛。 |
ハッキリ分かるけもの道。 |
10,錯綜した足跡
追はれた鹿が丁度勢子の居る付近に廻り出して来れば極力発砲する。それは例え散
弾の一ヶが命中しただけでもその逃走力が鈍って早く獲れる場合が多いからである。
又、其の場で仕留めることも決して少なくない。犬や鹿が近所にもう居ないことが
知れれば、多くの場合彼等の跡をある程度辿って行くのが通念である。雪のある時は
問題ないが、乾ききった、或いはコチコチに凍った山肌での追跡は困難を極めるもの
である。
11,川をのる
鹿の習性として追はれて山を逃げ廻った末には大てい川に落ちる。未だ疲れないう
ちは又山へ上がって逃げるが、疲れて来ると一旦川へ落ちれば流れに沿って下る(時
には上る)。これを川をのると云う。
其の距離は概して疲労の度合いや地形に制約されるものである。この場合(写真上
のように)一方が広い河原(明るい)、一方が急峻な山肌(暗い)である時は後者の
側を、又大きい石や木があればそれらを利用して巧みに身を遮蔽し逃走する。正に往
時の軍隊の操典に則るかの如くで、あながち馬鹿呼ばわりのみするわけには行かぬ位
である。
12,川藻の中の痕跡
雪の中、或いは湿気の多い山肌の場合と違って、川での足跡捜索は非常に困難であ
る。ただ広い浅瀬は比較的判り易い。茶褐一色に塗りつぶされた川藻の中にこのよう
に新しい痕が点々と続くのだが「川がらす」の引っ繰り返した石と混同してはならな
い。細かい砂まじりの瀬であれば鹿の足跡の場合、引っ繰り返った石の上に多少砂を
かむるものである。
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追われた鹿の多くは川に降りる。 |
浅い川の川石に残る足跡。 |
13.川を閉ざす氷
川をのる途中このように氷雪に閉ざされた所があると、もし其の上を通り難いよう
な場合は水の中を潜って抜け出ることがある。狭い所を而も随分長い距離を常識では
考えられないような至難な芸当を(逃げるためとは申せ)軽々とやってのけるのであ
る。
14,達場(たつば)
昔からの鹿狩りの経験で、追はれた鹿のよく到達する場所を云う。(鹿の)達する
場所ーーの意から(鹿)達場と書くらしい。特に地形的な制約はないが、概して谷間
が多く、これが山である場合には山達(やまだつ)又は追い廻しと云う。
何れの場合でも木や石で砦のようなかこいを作り身を遮断する。寒い時は朝のうち
に火を燃しておき(炭火)を作り、鹿の来そうな頃にはなるべく煙を出さないように
する。
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氷に覆われた淵の中を逃げる鹿もいる。 |
達場で鹿を待つタツヒキ(射手)。 |
15,山達(やまだつ)
山達はその殆どが尾根すじの鞍部になっている。鹿の勢いのよいうちにさしかかる
所であるから、此処に待伏する人は特に迅速な射撃が必要である。
16、たち
達場もかもしかの場合は「たち」と云はれ、その殆どが断崖絶壁になっている。こ
れは鹿があくまで逃走して行くのに対し、かもしかは犬も人も入れないような悪場に
逃げ込んでしまい、結局ー追い立てこまれるーの「たて」の名詞化されたものであら
う。従ってここで射たれ数十メートルの断崖をもんどりうって転落する光景は正に凄
絶・雄壮と云う以外はない。
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山達となるのは山の鞍部。 |
かもしかが逃げ込むたち。 |
17,(たてこまれた)かもしか(俯瞰したもの)
彼等とて喜怒哀楽はあるであらう。然し我々にはその表情の何たるかを読み取るこ
とは出来ない。ここに写されたものも恐らく犬や人を見て困惑し、或いは怒っている
のかも知れない。が、その表情は人の目には無心であり、絶体絶命のこんな時にでも
傍らの草や木をペロペロなめたりして余裕綽々たるように見えることがある。
18,(追いつめられた)鹿
力まかせに必死の逃走を続けた鹿も遂には力尽きて犬に追い詰められ、かくの如く
なる。岩壁を背景に犬に対するもの、淵の中に飛び込んで首だけ出すもの等色々で、
時には犬に追いつかれぬうちに絶命してしまう気の毒なものもある。
19,獲物にかかる犬
撃ち落とされた獲物へ犬は猛然と躍りかかり、噛み付いて容易に離さない。この場
合獲物が半傷(はんで:ハンヤとも云う)であると、あの鋭い角を引っかけて放り投
げ、犬を殺してしまうことがある。従って、特にかもしかの場合は出来るだけ近寄っ
て確実に射殺することが重要である。
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たてこまれたカモシカ。すぐに撃たれる運命が待つ。 |
撃たれた獲物に襲いかかる猟犬。 |
20,臓物を処理する
仕留めた獲物に対する最初の動作は臓物を処置することである。これは生血を早く
出せば出す程、動物特有の「におい」が肉に移らないからである。
水が近ければ、そこまで背負い出してからにするが、全然水気のない山中では、こ
の動作で血まみれ、糞だらけになってしまう。胃袋、肝臓、肺臓等を別にし、大小腸
等は大抵犬に与える。洗った胃袋は其の中へ他の臓物を入れると丁度いっぱいになる
位のよい容器となり、一人で背負う時には更にこれを腹腔の中に仕舞い込んで荷造る
のである。
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内蔵を処理する猟師。 |
胃袋を川で洗う。 |
21.血を飲む
臓物を出してしまえば新鮮な血が溜まって残る。これが又百薬の長とも云うべきか
、一掬いの生血を吸い得ることが狩人の特権(?)とも云えるのである。効能は身体
全体に有効とも云はれ、特に冷え性に良いとされて居る。
22,犬に血を与える
然し、人間は幾らも飲むことが出来ないので、大部分犬に与える。これによって犬
は益々鹿の味を覚えるのであり、猟犬を仕込むための第一要件ともなるのである。
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新鮮な血は百薬の長。 |
猟犬に血を飲ませて鹿の味を覚えさせる。 |
23,肩縄をつける
かくして一切の処置を終えれば両側の前後肢を縛り、其の間へ頭を押し込み、胴縄
でからんで肩縄をつける。之で楽に山中を背負い歩けるのである。一人で獲った時は
此の上にリュックを重ね、更に銃を持つので険しい所では云い知れぬ難渋をして背負
い出さねばならない。
24、木に吊した鹿
山で獲って、まだ別の行動をとる場合(直ぐに背負って帰らぬ時)は、このように
獲物を木に吊しておく。これは地面に直接置いて、他の動物(てんの類)に食はれた
り見つけることの困難を防ぐためである。
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鹿を縛って肩縄をつける。 |
木に吊した獲物。 |
25,皮むき
時間的に余裕があれば山で皮をむくが、さうでない時、或いは立派な角を持つ獲物
なので人々の前を意気揚々と背負って見たい時は家まで運んでからにする。この光景
は残忍と言えば言える。しかし、生半可な慈悲の心があっては狩猟は出来ないものだ。
こんな動作をする時位念仏でも唱えればよさそうなものだが、山男達は「鹿肉の刺
身でショーチュウを飲む」話に余念がない。
26,皮をはる
むき終わった皮はこのように板にはり付け、数日間干してカラカラに乾いてから取
り外すのである。一般に毛皮類は形をも重んずるので、そのはり方に注意が必要だが、
鹿皮は通常一貫目幾らで取引されるので小物類ほどには(はり方を)重視されていな
い。かくして鹿狩りの一切が終わる
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鹿の皮をはぐ。 |
皮は板に貼り付けて乾かす。 |
27,山神まつり
水の上で働く人々には水神様(或いは海神様)があるように、猟師に限らず山で働
く人達は皆その拠り所として、山の神を崇拝する。何う云う理由か定かでないが毎月
17日を山神まつりと称し仕事は早めにしまい、御神酒を上げ、特に盆と正月には盛
大にやるのである。身の災害除去を祈念し生業の健全を願うのであらう。猟師達も獲
物があったからと喜び、山神を祀って飲み、又獲物が獲れないから(獲れるようにと
)山神をまつり且つ飲む。
山男の葉隠(はがくれ)は「山神をまつるとは飲むことと見つけたり」であらうか
。さはあれ、神を崇めつつ苦難多かりし狩猟を語りあい、四方山のことどもに胸襟を
開いて話しつづけるこの時間は楽しい限りである。
追補
遙けくも来つるものかなーー獲物を求めて20キロ、人跡未踏の国境近い岩頭に立
つ、遙かな山脈は夢の如く、夏岩を咬む足下の激流は氷に閉ざされ、四辺は只森閑と
して悽壮の気さえただよう。
しばしの憩いに絶景を見とれれば狩猟のことも打ち忘れて軽いファンタヂーに誘い
こまれてしまうものである。
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人跡未踏の岩頭に立つ。 |
しばしの憩い。 |
立派な角を持った獲物があった時、まして二頭も獲れたとなれば記念撮影をせずに
はいられない。
特に形の良い大きな角は首から切り落としてこのように剥製にする。(写真は三枝
掛りで18貫・70キロの最大級のもの)
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記念写真(利之さんは後列右)。 |
獲物を剥製にする。 |