山里の記憶
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鹿猟の話:山中隆平(りゅうへい)さん
2010. 1. 30
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1月30日、念願だった鹿猟の同行取材が実現した。同行させて頂いたのは、栃本で現
役の猟師ならこの人と言われている山中隆平(りゅうへい)さん(66歳)だった。隆平
さんは大物撃ちの猟師で、年間30頭もの鹿やイノシシをハンティングしている。朝八時
に出発するという事で、遅れないように朝4時起きで秩父に向かい、7時半に栃本の家に
到着した。隆平さんはすでに軽トラに猟犬三頭を積んで、準備を終えていた。
挨拶をして猟師部屋に入り、奥さんが入れてくれたお茶を飲んで一休み。今日の大まか
な予定を聞いて、すぐに出発することになった。隆平さんの軽トラに同乗させてもらう。
大洞川沿いの林道に猟師小屋が建っていて、そこに今日のメンバーが集まっていた。中
に入って挨拶をする。取材の旨を説明して同行を認めてもらう。今日はとことん隆平さん
と行動を共にする。猟師小屋には7人の猟師が集まっていた。ここの頭(かしら)は柳(
やなぎ)さんという猟師が務めている。隆平さんも柳さんの指示を受ける。
作戦会議が始まった。場所はこの山の裏、柳さんが犬を出す。川の方向に獲物は逃げる
ので、下のタツ場(射撃ポイント)で各自が待機する。タツ場は過去獲物が獲れた実績の
ある場所で、普通ならここで獲れるという場所だ。柳さんの短く端的な指示が出る。
「下にノル方が多い」「岩上のボサにつっこむ」「五郎くんは山ダツ」「ケーブルの登り
口」「ホリさんは赤い橋の近所」「リュウさんは一緒に」「滝を登った左の尾根」・・
一人一人に場所を確認して指示を出す。短いが的確な指示であることは、全員がうなず
いていることで良く分かる。作戦が決まればすぐに皆持ち場に出掛ける。軽トラがそれぞ
れの方向に走り出す。私は隆平さんの軽トラで柳さんの軽トラの後に付いていく。
猟師部屋はストーブで暖かく、お茶を飲みながら打ち合わせ。
最初のタツ場へ向かう隆平さん。日陰にはまだ雪が残っていた。
三峯神社奥の院のさらに奥の林道終点まで入って軽トラが止まった。二人が地面をじっ
と見ながら、何かを探している。獲物の痕跡を探しているのだ。しばらく見ていたが、ど
うやら何も無かったようだ。柳さんがつぶやくように言う「シャクナゲを植えたところに
このごろ出るんだいね」軽トラが再び走り出す。更に奧まで入り込んで、シャクナゲ庭園
の横に止めた。斜面をのぞき込みながら歩いていた柳さんが目の色を変えて戻って来た。
「鹿がいる!鉄砲持ってけば良かった・・・ちくしょう逃げるなよ・・」ライフルをケー
スから出しながら小走りで急ぐ。隆平さんもカービン銃をケースから出して後を追う。
20メートルくらい先で柳さんが銃を構えた。その瞬間、ダーン、ダーン、ダーン!と
3発の銃声が静かな山に響き渡った。ライフルの発砲音はものすごいものだった。腹に響
く重高音は初めて聞く音で、思わず膝がふるえた。
戻ってきた柳さんに首尾を聞くと「分かんね、外れたんかさあ・・後で見に行くべえ」
とにかく、ここに獲物がいることは分かったのですぐに無線で応援を依頼する。トクさ
んがこちらに向かうことになった。「リュウさんは下に回ってくんねえかい」「了解!」
話は早い。すぐに我々は軽トラで移動する。間伐を進めている杉林の作業道を慎重に下り
て終点に車を停め、雪が残った尾根に向かう。鹿は通常銃や犬に追われても、一直線に逃
げることは少なく、停滞して様子を見ながら逃げるのだそうだ。だから、群れはまだこの
斜面にいると二人は確信している。
雑木が背の高い林の尾根に出た。見通しがいい場所を選んで「ここで待つべえ」と隆平
さんが腰を下ろす。私もその横に座る。ここがタツ場になると、勢子頭(せこがしら)の
柳さんから「上がり」という指示が出るまで動けなくなる。とにかくひたすらじっと待つ
だけが仕事となる。無線では先ほどの様子が伝えられ、各自が配置についたことが確認さ
れた。トクさんは我々の上に、五郎さんは我々の下に陣取った。寒い中で待つ時間はとて
も長く感じた。「日の当たらないとこはつらいんだいねえ、今日は暖かいほうだけど」
そして待ちに待った無線が入る。柳さんの低い声が「いくで」と犬を放つことを伝えて
きた。反対斜面の最上部が先ほどの場所で、ほどなくその方角から「ワンワンワン」とい
う犬の吠え声が聞こえてきた。
ところがいつまで待っても犬が下りてこない。隆平さんが無線に叫ぶ「柳くん、ハンデ
ェじゃねえんか?犬が動かねえで・・」「了解、行ってみる」と返答。しばらくして山の
上からダーンという銃声が聞こえた。「獲ったで、ハンデェだった」と柳さんの低い声。
ハンデェとは最初に撃った三発のどれかが獲物に当たっていて、動けなくなっている状態
だったということだ。【ハンデェ:半傷:ハンヤともいう】
今度はまた犬が吠えだした。「ほら、まだいやがった」隆平さんの顔が引き締まる。声
は遠くなったり、近くなったりしているが徐々にこちらに向かってくるようだ。
「来るで」と隆平さんが言う。何だか心臓がドキドキして来た。ハッキリと犬の声が大き
くなってきた。と思ったら矢のような速さで我々の背後を駆け抜けて行った。トクさんの
叫ぶ声が無線に入る。「150メートルも下だい!ちくしょう」隆平さんも叫ぶ「俺の上
を抜けやがった。鹿除けの網を越えて行きやがったい!」「五郎くん、行ったでぇ!」
すぐに斜面の下でダーン、ダーン、ダーンと三発の銃声が山に響き渡った。五郎さんの
声が無線に入る。「だめだ、遠くて外した!」
柳さんのそれぞれへの指示が急になる。どうやら包囲網を突破されたようだ。猟犬には
無線の発信器が付けられていて、ここからはその「ピー音」を追いながらタツ場を移動す
ることになる。「リュウさんは上に来て処理を手伝ってくんねえかい?」「おいよ」我々
は寒いタツ場から解放されて、獲物の処理に向かうことになった。
柳さんが仕留めた今日の獲物。4歳くらいの中型のメス鹿。
タツ場で物音がする。すぐにカービン銃を構える隆平さん。
柳さんが仕留めたのは中型の雌鹿で、急斜面の底に倒れていた。ベテラン猟師二人が言
葉短く状況を確認し、すぐに解体が始まった。解体は腹の皮を裂くところから始まり、二
人のナイフが軽やかに皮を剥ぐ。後足の皮を剥ぎ、腹の皮を背中まで剥ぎ、前足の皮を剥
ぐ。後足首を切り離し、股関節から切り取る。同じように前足首も切り取られ、肩の関節
から切り離された。サクサクと解体され、鹿は肉に変わっていく。
内蔵を傷つけないように切り離し、心臓と肝臓以外はその場に捨てる。「昔は全部きれ
えに洗って食ったもんだけど、今はいっぺえ獲れるんで内蔵はテンマルの餌だいねえ」
内蔵を外した体から背ロースとヒレ肉を取り、あばら骨を取り外す。
「肉付のあばらは食っても旨めえけど、今は犬の餌にすることが多いやね・・・」
「犬も大事だし、これで鹿の味を覚えるからねえ・・」「人間は贅沢になるもんだいね」
話しながらも二人の手が動き続ける。
鹿の解体を見るのは初めてだった。目をそむけたくなるのをこらえて、じっと手順を凝
視した。自分がやるとしたら出来るだろうか? 血の匂いを鼻に感じながら、必死になっ
てじっと見ていた。柳さんが血まみれの心臓と肝臓をビニール袋に入れて差し出した。
「ほれ、持ってけ!旨いで・・」一瞬びびったが受け取った。その瞬間、傍観者でいよう
と思っていた私は仲間(共犯者)になった。解体された骨付きの肉をビニール袋に入れ、
リュックで急斜面を担ぎ上げて処理は三十分ほどで終了した。
愛犬のビンゴ。テリヤとビーグルを掛け合わせた勇猛な猟犬。
大洞川沿いの林道に建つ猟師小屋。解体や調理も出来る。
ここからは逃げた鹿を犬に付けた発信器のピー音(電波)を探しながら追うことになっ
た。どうやら川に下らず、尾根を反対側に逃げて行ったようだ。その後、柳さんの無線指
示でタツ場を変えること三度。軽トラで山をあちこち走り回ったが獲物とは遭遇出来なか
った。無線に入ってくるみんなの情報も芳しくない。どうやら雌の若い鹿を追っているら
しい。「雌で若いやつは落ちないんだいね、今日は終わりかな」隆平さんがつぶやく。
柳さんから「終了しましょう」という無線が入ったのは4時を回って暗くなりかける時
間だった。その後、猟師小屋に集合し肉の解体を行い、分配して解散となった。私は心臓
と肝臓を分けてもらった。きれいに洗って刺身で食べると旨いらしい。まあ、ハツとレバ
ーの新鮮なものということだ。「肉は家にいっぺえあるからそれをやるよ」と隆平さん。
日頃イノシシの被害に遭っている身として、増えすぎた野生動物は駆除しないと仕方な
いと思っていた。しかし現実は、駆除するハンターが高齢化し、数も少なくなっている。
相手も逃げるものだし、簡単に駆除されることはない。山里の生態バランスをどうやって
保つのが正解なのだろうか。猟の現場は初めての体験で、いろいろ考えさせられた。