山里の記憶73


黄繭(こうけん)を作る:林 喜久(きく)さん



2010. 6. 15



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 6月15日、長瀞町野上(のがみ)の林喜久(はやし きく)さん(74歳)の家を訪
ねた。喜久さんは珍しい黄繭(こうけん)を作っている。その昔、養蚕で名をはせた秩父
地方にあっても、黄繭を作るのは珍しい。今はすっかり養蚕農家も少なくなり、ましてや
黄繭を作っている人は数少ないので貴重な取材となった。              
 黄繭はヨーロッパの品種を元として品種改良された繭で、雌雄共に黄金色に輝く黄白の
改良繭。新鮮な桑の歯に多く含まれる黄色の色素であるカロチンを体内に取り入れて黄色
の糸を吐くと考えられている。日本古来の在来繭原種で最高の糸が取れる「小石丸」と、
我が国原産の野蚕で室内では飼えない薄緑色の「天蚕繭」とともに皇室の御養蚕所で皇后
様が飼育されている三種の繭のうちの一つだ。                   

 喜久さんはご主人の高羲さん(76歳)と二人で養蚕をしている。取材に伺った時はち
ょうどお蚕上げ(おこあげ)が終わり、回転まぶしに蚕が登って繭を作り始めた時期だっ
た。桑くれも終わり、養蚕の作業が一段落していたこともあり、喜久さんの表情にも余裕
があった。作業の様子を写真に撮っておいてくれ、それを見ながら居間で話を聞いた。 
 喜久さんが黄繭を作るのは6回目になる。毎年作る訳ではなく、試験場の方から依頼さ
れて作る。種は試験場から送られてくる。黄繭だからといって特別な育て方をする訳では
なく、普通の蚕と同じ育て方をする。ただし春蚕(はるご)でしか作らない。春蚕の時で
ないと良い繭が出来ないということらしい。今年の繭も出来は良いとのこと。昨年は繭の
出荷の様子を朝日新聞に取材され記事になったという。               

別棟の作業小屋で回転まぶしのお蚕を見る喜久さん。 二種類のネットの使い方を説明してくれる喜久さん。

 今年の春蚕は5月17日に試験場で種を掃き立てた。掃き立ては試験場でやっている。
5月の24日夜に1センチくらいに育った蚕が喜久さんの家に届けられた。一箱分が一枚
の紙で来るので、それを120センチ角のカゴ8枚くらいに広げる。ここから桑くれが始
まり、蚕は脱皮を繰り返し、大きく育っていく。                  
 蚕は糸を吐いて足を固定し、口から脱皮する。脱皮が終わるとしばらく休ませる。脱皮
途中の蚕がいると変形した繭に育ってしまうからだ。消毒の石灰と焼きヌカを撒いて座を
乾かす。そうしないと蚕は脱皮出来ない。                     
 飼育台の上に紙を広げ、石灰で消毒してから蚕をひろげて桑をくれる。蚕は三眠で15
ミリくらい四眠で20ミリくらいまで育つ。育つ毎に食欲は旺盛になり、桑採りが朝晩の
忙しい仕事となる。桑畑が野上(のがみ)にあって遠いので、高羲さんは毎日忙しい。 

 旺盛に桑の葉を食べた蚕は時期が来くると「ひきり(成熟した蚕)」が出始める。今回
は6月9日の朝、お蚕上げ用の網をかけた。午後までにひきりを拾って、拾えないひきり
は機械ではたいた。この機械は自動的にカゴをゆすって、蚕を落としてくれる優れもの。
この機械のおかげで、お蚕上げはずいぶん楽になったという。            
 蚕が休む(桑を食べなくなる)たびに蚕の状態を見てお蚕上げし、最後に全部の蚕を上
族(お蚕上げ)させる。回転まぶし(蚕が繭を作るアパートのようなもの)に蚕が入り、
すぐに糸を吐き始めて、繭を作り始める。忙しい桑くれの仕事が無くなる瞬間だ。   

 このお蚕上げ用とごみ取り用の二種類のビニールネットを使い分けながら蚕の飼育が進
められている。食欲おう盛な時期の蚕は、盛んに桑の葉を食べ、盛んに糞(蚕糞:こふん
)をする。蚕は清潔好きなので、そのままにしては置けない。そこでごみ取り用のビニー
ルネットが使われる。二枚の目の細かいネットを蚕の上に掛けると、蚕が上に登ってくる
。それをクルクルと巻き取れば蚕だけがネットに残り、下はゴミだけになる。こうしてゴ
ミが片付けることができる。                           
 上族(お蚕上げ)用のネットはごみ取り用のネットよりも目が粗い。動きがゆっくりに
なるので大きな目で蚕をやさしく集める必要があるからだ。             

 こうして上族(お蚕上げ)された蚕が静かに回転まぶしの中で繭を作る。蚕が完全に繭
の中でサナギになったら回転まぶしから外すことになる。今年は天気が良かったから、6
月17日から18日にはサナギになって、回転まぶしから外せるようになる。     
 繭をまぶしから外すのは機械でやる。まぶしの一コマに一本の棒が押し込まれるような
専用の押し出し機があり、一枚のまぶしの繭を一度に押し出すことができる。押し出され
て落ちた繭は、そのままケバ取りされてきれいになって下に落ちてくる。       
 ケバ取りされた繭を床に広げて、喜久さんが両手でそれを探る。柔らかい繭を取り除く
ための大事な作業だ。喜久さんは神経を両手の指に集中して、未熟繭を探る。こうして柔
らかい繭を取り除いて、固くきれいな繭だけを出荷する。              
「今年は特別に飼いやすかったいねえ。桑が柔らかかったから大きくなったんじゃないか
と思うんだいね・・」                              

「この機械で蚕を振るい落とすんさあ」と説明してくれた。 大量の枝。蚕を育てるにはこれだけの桑の葉が必要になる。

 居間で喜久さんの話を聞いていたのだが、飼育場を見せてもらうことにした。家の前に
納屋があり、そこにズラリと回転まぶしが並んでいた。蚕が糸を吐き、きれいな繭が出来
ているところだった。                              
「お父さんはマメな人なんで、何でもキチンとやるんだいね。あたしはいいけげんなんで
よく言われるんだけどさあ・・はは・・。肥料代くらいにしかならないけど、こうやって
続けることがいいんだいね。頭もぼけないしさあ・・」回転まぶしを見ながら喜久さんが
そんな事を話してくれた。                            
 飼育場はここだけではなく、近くにビニールハウスがあり、そこが中心になっている。
育ち遅れの蚕がまぶしの上を這っている。「せっかくここまで大きくなったんだから捨て
られなくてさあ・・、でも、育ち遅れはいい繭を作んないんだいね」喜久さんがつぶやき
ながら愛おしそうに蚕を撫でる。                         

 ビニールハウスの中で飼育に使う様々な道具類を見せてもらい、使い方を説明してもら
う。上族用のふるい落とし機、まぶしから繭を押し出してケバ取りをする機械など。喜久
さんが言う「機械がいろいろ出来たんで、ずいぶん楽になったんだいね。そうでなきゃ年
寄り二人じゃあとても出来ないかんねえ・・・」                  
 ハウスの外に出て驚いた。大量の桑の枝が置かれている。             
「これ、全部今年の分ですか?」「そうそう、一回飼うとこれだけ食うんだいね」喜久さ
んに横に立ってもらい、写真を撮った。ものすごい量の桑の枝。これを高羲さんが毎日畑
から運んだのだ。蚕を飼うことが重労働だということがよく分かる。昔はこの桑の枝は牛
やヤギの餌になったり、乾かして焚き付けに使われたものだった。今では積み上げられて
堆肥になるのを待つだけだ。                           

納屋の回転まぶしでは繭が出来上がってきた。 孫の写真を見ながら目を細める喜久さん。

 居間に戻り、喜久さんに昔の話を聞いた。喜久さんは奥の日野沢耕地出身で、23歳の
時に高羲さんのところに嫁に来た。去年めでたく金婚式を迎えた。          
「昔のことだからさあ、お見合いだとか恋愛だとかっていうんじゃあなかったんだいね。
7人兄弟の三番目で、長男に嫁を取るときに小姑がいたんじゃあ・・ってことで出ること
になったんだいね。日野沢からおばさんが「ふくろ」に出てて、そこにこの家から婿さん
が入ったんだいね。その代わりって訳じゃあないんだけど、あたしがここに入ることにな
たんだいね」                                  
「好きだ嫌いだじゃあなかったいね。トラックで嫁に来たんだよ。台風で橋が流されて、
トラックと乗用車を乗り継いで来たんだいね」「嫁に来て一番最初の仕事は桑畑の肥え運
びだったんだよ、あはは。旅行づらあなかったいねえ」               
「子供は三人で、今年ひ孫が出来たんだよ。74歳でひいばあちゃんさあ・・あはは」 
「昔はここも麦わら屋根で、食うだけでも大変だったんだいね。どこもそうだったけど、
よく頑張ってきたと思うねえ・・」                        
「山があってさあ、みんなで山の下刈りに行ったこともあるんだいね。この杉を売ったら
みんなで旅行に行こうなんて言ってたんだけど、今じゃあ、はあ、二束三文だかんねえ」

 アルバムを開いてひ孫の写真を見ている喜久さんの嬉しそうな顔。趣味の写真だと言っ
て、様々な山野草の花を見せてくれた。とても楽しそうに説明してくれる喜久さんの声は
若く、明るかった。何だか心に染みる取材だった。