山里の記憶82


稲を脱穀する:斉藤勝明さん、チエ子さん



2010. 11. 18



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 十一月十八日、小鹿野町和田の斉藤勝明(さいとうかつあき)さん(六十九歳)とチエ
子さん(七十一歳)を訪ねた。昔の足踏み脱穀機を使った稲の脱穀を取材させてもらう為
だった。今では少なくなってしまった足踏み脱穀機だが、昔はどこの家にもあって、麦や
稲や雑穀の脱穀に使われていた。私も子供時分に何度も手伝わされたものだった。   
 ビニールハウスにいた勝明さんに挨拶する。中に招かれたので入ってみる。ハウスの中
には重そうに穂を垂れた稲の束が置かれていた。これを今日脱穀する。        
 ハウスの中には大きな菊の花が所狭しと並んでいた。聞くと、チエ子さんが栽培してい
る菊で、観賞用に十年前から作っているとのこと。二年前まで展示会に出したりしていた
が、今では作る人も少なくなってしまい、展示会にも出さなくなってしまった。    
「鉢が重たいかんねえ、日当たりを均等にするには何度も鉢を回転させなきゃならないん
だけど、腰が痛くって、出来ないんだいねえ・・」と、チエ子さんが残念そうに言う。 

日当たりの良い山裾に建つ勝明さんとチエ子さんの家。 ハウスにはチエ子さんが丹誠込めて咲かせた菊の花がいっぱい。

 稲の束を納屋に運ぶ。納屋の角にはブルーシートが張られ、脱穀の場所が出来ていた。
そして、そこには今日の主役、足踏み脱穀機が置かれていた。プレートはまだ木製のもの
で、昭和十年くらいに買ったものらしい。背板には「農林規格○人力脱穀機」と刻字され
てある。川越のメーカーのものらしいが、その部分は文字が判読出来ない。      
 勝明さんのおじいさんが買ったもので、当時として画期的な機械だった。みんなの稲を
脱穀して喜ばれたそうだ。なぜ今、勝明さんがこの脱穀機を使うのかには訳がある。  
 この脱穀機を使うのは種もみを脱穀する為だ。コンバイン等で脱穀すると種に傷が付い
たりしてしまう。この機械は自分の力で脱穀するので、力を加減できる。大事な種もみを
傷つけることなく脱穀出来るのだ。勝明さんは一年に一度、種もみ用にこの脱穀機を使っ
ている。勝明さんが作っている米はキヌヒカリ。食べて美味しく、ワラが長いのが特徴だ
。普通の米よりも粒が大きいが、今年は夏の猛暑のせいで成績は良くなかった。    

 脱穀が始まった。二人の足が踏み板を踏むと突起が付いたドラムが勢いよく回転する。
ガーコン、ガーコンという音が納屋に響く。回転を落とさないようにチエ子さんが踏む係
で、勝明さんは実の付いた稲束を回転するドラムの上に置く。バババババッと激しい音が
して稲の粒が敷かれたシート上に飛び散る。何度か稲束を上下裏返しすると音がしなくな
る。すぐに次の束を脱穀する。ドラムはチエ子さんがずっと高速回転させ、ガーコン、ガ
ーコンという音がBGMのように響き続ける。乾いたホコリの匂いが漂ってくる。昔、子供
時分に嗅いだ懐かしい匂いだ。                          

ハウスに置かれたこの稲を脱穀し、種もみを作る。 足踏み脱穀機で脱穀する。稲の実がバババッっと飛び散る。

 種もみ分だけなので、脱穀はすぐに終わった。勝明さんはすぐに粗い目のフルイを取り
出した。このフルイで稲の粒と大きなゴミを選り分ける。チエ子さんも手伝い、息の合っ
た作業で、これもすぐに終わった。                        
 次に出てきたのはトーミ。これは羽根を回転させて、その風力で実と粃(しいな)とゴ
ミを選り分ける機械。昔は木製のトーミ(唐箕)がどの家にもあって、稲や麦、大豆など
の選別に使われていた。仕組みは単純だが、穀類・豆類の選別には絶大な力を発揮する。
 勝明さんのトーミはスチール製で、SKトーミと刻印されていた。フルイで選別した稲を
トーミの口に入れる。                              

 右手で羽根を回転させて風を送り、左手で落とし口を開ける。ゴミが出口から飛び出し
、手前の口から稲粒が落ちてくる。口は裏側にもあって、そちらには軽い稲粒が落ちる仕
組みになっている。手前側と裏側とで良い実、悪い実の選別にもなっている。重く良い実
が手前に落ちる仕掛けになっているのだ。風の強さは自分の手で加減する。      
 こうして簡単に選別も終わった。手前に落ちた実を種もみとして使い、裏側の実は精米
して普通に食べてしまう。                            
 選別し終わった種もみは、紙の袋に入れて4月末まで保管する。時期が来たら、一週間
水に浸し、稲の箱にスジを入れて撒く。これに温度をかけると(温室に置き三十度くらい
に温かくすること)三日で発芽する。五日目には田んぼに移して、ビニールをかぶせてお
き、成長したら植え付ける。田んぼに置いておく時に、注意しないとイノシシやシカに荒
らされることがある。勝明さんもイノシシに箱ごとひっくり返されたことがある。   

 脱穀が終わったワラをもらいに来る人がある。コンバインでワラを刻んでしまうこの頃
は、正月用のしめ縄作りに使うワラが無いのだ。長いワラはそれだけで貴重品になってし
まった。ワラが足りなくなって、知り合いに頼んで分けてもらったこともあるほどだ。 
 脱穀と選別が終わったところで急に雨が降り出した。大事な種もみを大急ぎで納屋に収
納し、三人で「良かったねえ、雨の前に終わって・・」と笑い合う。チエ子さんが「お茶
でも飲みましょう」と言ってくれたので、上がって炬燵でお茶を頂くことにした。   
 お茶を飲みながら、二人に昔の話を聞かせてもらった。              

脱穀した稲の実をフルイにかけて選別する。 作業を終えてひと休みしているチエ子さんと勝明さん。

 二人が結婚したのは昭和三十九年の一月、東京オリンピックの年だった。勝明さん二十
二歳、チエ子さん二十五歳の時に、親同士が決めて、世話人が仲立ちしての結婚だった。
「お見合いでもなく、恋愛結婚でもなく、何となくの『なれ合い結婚』だったいね・・」
と二人で笑う。                                 
 昔は独身の男女が年頃になると、男女の間を取り持つ世話人が自然と声をかけてくれて
結婚する人が少なくなかった。男女が出会う場が少なかった頃の大切なシステムだった。
 今では男女が出会う場はたくさんあるが、婚期を逃した人を紹介し合うような世話人が
いなくなり、三十代、四十代の独身男女が増えている。じつにもったいないことだ。  
「世話する人がいなくなっちゃったからねえ、仕方ないんだけど・・」勝明さんも同じ思
いを口に出す。                                 

 話が結婚式の事になった。二人の結婚式はお互いの自宅で披露宴をするという昔ながら
の結婚式だった。「おそらく、俺たちが最後くらいなんじゃないかねえ・・」勝明さんと
チエ子さんが思い出すようにうなずき合う。                    
 結婚式の日、新郎の家から世話人を先頭に十人くらいで『お迎え』に行く。勝明さんは
紋付き袴の正装で、世話人の後に続く。チエ子さんの実家でお迎えの宴が始まる。勝明さ
んは世話人の指示通りに頭を下げることしか出来なかったという。          
 この宴会には『のぞっこみ』が群がるのが常だった。遠くからも新郎新婦を見に来る人
がいて、閉まっている障子に指で穴を開けてのぞき込むのだ。家の人は徐々に大きくなる
穴を無視できず、そのうちに一月だというのに障子を開け放しての宴会になる。庭には近
所の人が大勢集まってきて、お祝いをいう。結婚式は地区のおめでたい一大イベントだっ
た。宴席の料理は全て隣組の女衆(おんなし)が作り、給仕は身内の女衆がやった。  

 こうしてお嫁さんの家での宴会が終わると、すでに辺りは薄暗くなっている。そしてこ
れから新郎の家へと行列が始まる。『こんばんわ提灯』に火をともし、世話人を先頭に、
新郎新婦、親族一同が一列になって『送り届け』の行列が粛々と野の道を進む。花嫁衣装
のチエ子さんは「足が滑って歩きにくくって大変だったよぅ・・」と当時を思い出す。 
 新郎の家まで約一キロの道のりを歩き、『とぼう盃』をして家に入る。今度は新郎の家
で宴会が始まる。五時から延々と続く披露宴だった。組合の人が作った料理が棚に並べら
れており、給仕の人がそれを運ぶ。お酒は日本酒だけ。本当によく飲んだという。   
 宴会は『くれ方』と『もらい方』の両方でやるのがしきたりで、『もらい方』の方が長
いものだった。こちらでも隠れ見やのぞっこみが当たり前で、花嫁は注視の的だった。 

 チエ子さんはお色直しもした。延々と続く宴会はいつ終わるともしれないものだった。
飲んでる人は最後まで残ろうとし、最後は「嫁ごのお茶をもらわなきゃ帰れねえなあ」と
オダを上げるのが常だった。                           
 チエ子さんは、さんざ酔っぱらっている客に最後のお酌に回る。思えば、お色直しはお
酌に回るためだったかもしれないとチエ子さん。角隠しを取り、カツラも替えて、嫁ごの
最初の仕事をする。そして、最後の締めがまた長い。小鹿野の宴会は特別に長く、挨拶と
締めが『一の締め』『二の締め』『三の締め』・・・と続き、締めだけで一時間かかるこ
ともあった。「当時は楽しみったってお祭りぐらいのもんだったから、結婚式なんつうと
思いっきり飲んだもんなんだいね・・」とチエ子さん。               
 なんだかほっこりするような懐かしい話をたっぷり聞かせてもらった。