山里の記憶85


けんちん汁:神林千代さん



2011. 2. 22



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 二月二十二日、けんちん汁の取材で秩父市荒川上田野に向かった。秩父市内から見渡す
山々は先週の雪を白く残し、厳しい寒さを思わせたが、比較的あたたかい朝だった。取材
で伺ったのは、神林千代さん(七十七歳)の家。築百五十年以上という古民家だが、きれ
いに掃除が行き届いていた。磨かれた家具と趣味の良いタペストリーで、はやりの古民家
風カフェにでも来たような気分になった。置いてある陶器や陶板も自作らしい。    
 招かれて炬燵に入り、四方山話に花を咲かす。炬燵にはご主人の静二(せいじ)さん(
七十八歳)もいて、ファイルの絵を見ながら色々話を聞かせてくれた。足を骨折して入院
中だったが、今日は許可を取って帰宅したとのこと。そのお陰で、静二さんから興味深い
話をたくさん聞くことができた。                         

古民家カフェ風のおしゃれな家で出迎えてくれた千代さん。 畑でいけた大根を掘るために、防寒用のムシロを外す。

 話が一段落したところで、けんちん汁作りの取材に入る。裏の畑に大根がいけてあるの
を掘る。大根をいけた場所は土が大きく盛り上がり、上にムシロをかけてある。秩父では
寒さが厳しいのでムシロをかけるなどの防寒をしないと、土と一緒に大根が凍ってしまい
、グズグズになってしまう。私の畑ではワラをかけて防寒している。         
 ムシロをよけるとまだ青い大根の葉が目に飛び込んできた。大根が生きている証拠だ。
千代さんがマンノウで大根を掘る。細身の大根を二本掘り出して「このくらいでいいやい
ね・・」「素人だから、こんなんしか出来なくてね・・」と笑うが、立派な葉がついたき
れいな大根だった。                               
 千代さんの畑は百五十坪ほどの広さで、ビニールハウスも建っている。今は、玉ねぎや
ほうれん草、キヌサヤなどが植えてある。春になれば耕して色々植えるのが楽しみだと言
う。ビニールハウスではイチゴの栽培もやるらしい。                
「昔はここに、こなし家(納屋)があって、唐臼(からうす)なんかもあったんだけど、
二十年前にきれいにしちゃったんだいね・・」と、昔、こなし家があった場所を指さす。

 台所に戻り、準備が始まる。材料は、大根半分、ニンジン一本、サトイモ三個、ゴボウ
二本、戻した干しシイタケ十五個、油揚げ一枚、板コンニャク一つ、豆腐半丁が準備され
ていた。大根とニンジンはイチョウ切り。サトイモは皮をむいて刻む。ゴボウはササガキ
して水に晒す。コンニャクは拍子切りにして、小鍋で茹でてアク抜きをする。油揚げは湯
通しして油を抜き、短冊に刻む。豆腐は半丁を四つに切る。干しシイタケはざく切りし、
戻し汁は後で使うので別にしておく。                       
 けんちん汁の作り方は家によって違う。それぞれの家で野菜の種類や刻み方、味付けな
どに違いがある。千代さんからも「けんちん汁は家によって違うから、他ではどんなもん
を入れるんかねえ・・?」と逆に聞かれてしまった。                

 材料の下ごしらえが出来た。千代さんが厚い鉄の鍋を出してきて、ガス台にかける。 
「鉄鍋はずっと暖かいからいいんだいねえ・・」と言いながらガスの火をつける。火は強
火だ。油はサラダ油を大さじ一入れてから、ごま油を加える。ゴボウ、ニンジン、コンニ
ャク、大根の順に入れて炒める。ジャーっと音がして、ごま油のいい香りが立ち上がる。
 手際よく千代さんが菜箸でかき混ぜ、干しシイタケとサトイモも加えて炒める。しばら
く強火で炒め回す。炒めることで野菜の甘さが増す。野菜がしんなりしてきたら、干しシ
イタケの戻し汁と、お湯をひたひたになるまで加える。ここに短冊切りした油揚げと四つ
切りにした豆腐を加え、フタをしてこのまま十分くらい煮込む。           

台所に並べられた材料。これを使って料理する。 厚い鉄鍋でグツグツと煮られているけんちん汁。

 「味付けは目分量なんだいね・・」「計ったことなんかないやねぇ・・」「その日の気
分で、味噌味にするか醤油味にするか決めるんだいね」「今日は醤油にしようかね・・」
 十分くらい煮てからアクを取り、かつおだしを入れて醤油を加え、味見する。    
「ちょっと甘いかな・・」と言いながら塩をひとつまみ加えた。かき回すごとに、豆腐が
自然に崩れて、いい感じになってくる。醤油の香りが辺りに漂い、おなかを刺激する。 
「レシピって言われたんだけど、目分量なんで書けないんだいね。味を見ながらやっちゃ
うし、何とかなるもんなんだいね・・」グツグツと台所にいい音と香りが充満してきた。

 「もういいころだね」千代さんがガスの火を止めた。炬燵で静二さんが待っている。炬
燵に入り、静二さんといろいろ話す。                       
「けんちん汁は冬場に作ったもんだいね。もの日とか人が集まる時に作ったんだいね」 
「油をえら使って、油が浮いてるようなもんが旨かったいね」「そうだねえ、夏には作ら
なかったもんだいね」昔話をしているところに、千代さんがけんちん汁をよそったお椀を
運んできた。「さあさあ、食べて下さい。いっぱいあるからお代わりして下さいね・・」
 お椀を持ってけんちん汁を食べる。油揚げと醤油の香りが鼻に抜け、口いっぱいに野菜
の味が広がる。ゴボウが主張している。大根、ニンジンの歯触りがいい。ねっとりとした
サトイモも旨い。崩れた豆腐が味を含んで、じつに旨い。はふはふしながら、あっという
間に一杯目を終えてお代わりを頼んでいた。                    
「千代さん、旨いですねえ」「そうですか、そりゃあ良かった・・」         

 昔、子供時分に食べたけんちん汁も油が多かった。刻んだ材料を炒めるのにラードを使
っていたように記憶している。農協で買ったラードは一斗缶に入っていた。スプーンです
くったラードを鉄鍋の縁でカンカンと叩いて落とす。ラードがするりと鍋を伝って下に溶
けて行き、そこに野菜を放り込んだものだった。ゴボウ、サトイモ、大根、ニンジンなど
を炒め、水を加えてから油揚げの細切れを入れた。油揚げは近所のまっちゃんが揚げたて
を売りに来た。かつおだしはなく、煮干しをひとつかみ入れたように記憶している。味噌
味ではなく、味付けは醤油だけだった。たっぷりの油で体が温まるのが嬉しかった。  

お椀に盛られた、熱々でおいしいけんちん汁。 炬燵でいろいろ話してくれた静二さん。

 けんちん汁を食べながら千代さんに昔の話を聞いた。この家はもともとは紺屋で、安谷
川(あんやがわ)のほとりで染め物をやっていた。明治元年に建てた、築百五十年以上の
家だという。古い家を直しながら暮らしているのだと千代さんが言う。        
 染め物屋の後は二十二年間寺子屋をやっていたそうで、家のあちこちに子供が書いた墨
跡などが残っている。家の前には石碑もある。寺子屋をやっていたということからだろう
か、千代さんが生まれた頃、先生が一人下宿していた。女の先生だったが、千代さんが生
まれた時、お産を手伝ってくれたのだと後でその先生から聞いた。          
 先生の下宿はその後も続き、三田川の人だったり、大滝の人だったりが入れ替わり下宿
していた。その後も昭和電工の社員が下宿したり、知り合いから頼まれて疎開の人を受け
入れたりしていた。                               

 千代さんには、別々に育った兄がいた。千代さんは小学生の時にその事を知った。それ
までは何も知らずに一人っ子だとばかり思っていた。再婚だった母親に、いろいろな事情
があったことは、子供心に何となくわかったという。                
 女学校に入った年は戦争で大変だった。入学式の日に防空壕に避難したことが忘れられ
ない。ちょうど学校改革で制度が変わり、中学から高校まで同じ学校で六年間学ぶことに
なったのも貴重な経験だった。                          
 学校を出て、お勤めをしたりして二十六歳になった千代さんに運命の人が現れる。別々
に育った兄の友人だった静二さんと知り合い、結婚することになったのだ。静二さんは二
十七歳、二十歳の時から秩父セメントひと筋に働くサラリーマンだった。       
 十二月六日の結婚式は自宅で行われた。当時、東京本社勤務で、浦和の社宅に住んでい
た静二さんにとっては面食らうことも多かったという。結婚式の後の新婚旅行は熱海だっ
た。千代さんにとって、懐かしい思い出の場所になっている。            
 静二さんの仕事は営業で、各地の営業所を車で回っていた。秩父セメントはセメント会
社でも上位だったので、仕事は忙しかった。高崎、富山、名古屋、仙台と出張所があり、
出張員制度もあったので転勤は避けられなかった。                 

 結婚後はずっと浦和の社宅住まいだった千代さんだったが、静二さんが本社から高崎に
転勤になり高崎に行く。そして、三十年前、その高崎から今の家に帰ってきた。    
「やっと帰ってきてほっとしたもんだいねぇ・・」千代さんが帰ってきてすぐに、母親が
八十二歳で他界した。「私が高崎から帰ってきたんで、ほっとしたんだろうね・・」と待
っていた母親を思い出すようにつぶやいた。