山里の記憶88


タケノコご飯:原嶋さち子さん



2011. 4. 29



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 四月二十九日、秩父市荒川・上田野(かみたの)の原嶋さち子さん(七十三歳)を訪ね
た。タケノコご飯の取材をする為だった。家は武州中川駅近くの日当りの良い場所にあっ
た。車を止めるとすぐにさち子さんが出て来てくれて、中に誘われた。        
 炬燵にはご主人の幸典(こうすけ)さん(七十四歳)がいて、にこやかに迎えてくれた
。幸典さんといろいろな話をしていると、さち子さんが友人の美智子さんとたくさんのご
馳走を出してくれた。「朝早くから出かけたんでしょううから、おなかが空いてるでしょ
う・・」と言いながら、蕎麦、うどん、からし菜の煮物、酢の物、たらの芽の天ぷら、ワ
ラビの煮物などを次々に勧める。どれもみんな美味しい料理だった。いきなり歓待を受け
て恐縮してしまった。                              

 食べながらタケノコの話になる。原嶋家のタケノコは荒川では一番早い時期に出る。竹
林の横に大きな岩があり、その輻射熱で暖かいからなんだろうという。場所はここから少
し奥に入った安谷川(あんやがわ)の河畔だという。                
 今年は例年より十日くらい遅れている。いつもだったらゴールデンウィークにはどんど
ん出ているのだが、今年は少ししか出ていない。だから、これから一斉に出るだろう。良
い年には一カ所から二本ずつ出るから、今年は不作の年かもしれない。前年の八月に今年
のタケノコの生えが決まると言われている。史上空前の暑さだった昨年の八月、今年は不
作だろうという根拠の一つだ。去年は、処理に困るほど出た。            
 昔はタケノコを市場に出していた。ゴールデンウィーク前には多少値がつくのだが、連
休に入る頃にはどこでも採れるので、誰も買わなくなる。さち子さんのタケノコは朝掘り
なので、市場でも柔らかいと評判が良かった。中には竹林が遠く、前日に掘ったタケノコ
を出荷する人もいて、そういうタケノコは「堅い」と評判が悪かった。タケノコ掘りは、
その日の朝に掘るのが基本だ。時間がたつ毎に味が悪くなる。            

 横にいた美智子さんのことを「命の恩人だ」と言う。子供のころからいつも美智子さん
と一緒だった。虚弱体質だったさち子さん。九歳の時、病気にかかって寝込んだ。それこ
そ、三途の川を渡りそうになった時、美智子さんが自分の名前を呼ぶ声が聞こえたのだそ
うだ。その声に反応して、こちら側に戻ってこられたのだいう。美智子さんは「そんな事
はぜんぜん知らなかったいねえ・・」と笑っている。「いつも一緒だったかんねぇ・・」

子供時代からの友人、美智子さんからも、いろいろ話を聞く。 安谷川の上流、キャンプ場下にある旧宅。ここに竹林がある。

 食事も終わり、一休みしたところで取材の場所に向かう。取材の場所は三十五年前まで
住んでいた家で、今は他の人に貸している。好きな時に使わせてもらうことを条件に、そ
れでいいという人に貸しているので、いつでも使える。               
 三人でいろいろ荷物を車に積む。隣に住んでいる娘さんも車を出してくれ、二台で出発
した。細い道をくねくねと曲がり、車は林道へと入って行く。何だか見たような景色だと
思ったら、十二年前、瀬音の森という森林ボランティア団体を立ち上げて、初めての活動
を行った場所だった。安谷川の河川清掃が記念すべき第一回の活動で、その時に走った道
だった。なんと言う偶然。懐かしさに思わず声が出た。「この道、知ってますよ・・」 
 家は、細く、暗く、長い林道を出たところにあった。十二年前、「あんな家を借りて活
動の拠点に出来たらいいねえ・・」などとみんなで話していた家だった。本当に不思議な
巡り合わせだった。                               

 竹林は山と畑の間にあって、よく手入れされていた。見上げるような大きな岩が竹の葉
越しに見え隠れしている。あの岩の輻射熱でこの周辺が暖かいのだ。幸典(こうすけ)さ
んが唐鍬(とんが)を持って竹林手前のお茶畑に向かう。見ると、お茶畑のあちこちにタ
ケノコが頭を出している。ざっと見ただけで十本くらいは数えられる。        
 「タケノコはね、根の先っちょのほうが早く出るんだいね・・」「だから、林ん中には
まだ出てないんだい・・」と言いながら出ているタケノコを掘り始めた幸典さん。瞬く間
に五本を掘った。「タケノコは反ってるから、根の方を掘らなきゃダメなんだい・・」 
 「やらせて下さい」と言って交代してタケノコを掘る。土をよけて、曲がっている方向
を確認し、根との間を切断するように唐鍬を振り下ろす。柔らかいタケノコは、一発でコ
ロリと倒れる。それをカゴに入れる。私も五本掘った。               

幸典さんがタケノコを掘ってカゴに集める。すぐに10本も。 庭でさち子さんがタケノコの皮をむく。包丁で半割り、豪快に。

 幸典さんがカゴで背負って母屋に運ぶ。さち子さんが待っていて、すぐに皮むきが始ま
った。さち子さんはすぐにタケノコを半分に割り、身だけ取り出す。皮を全部一緒にツル
リとむく。作業がじつに手慣れている。残った身の薄皮をパラパラと落とせば終わりだ。
 あっという間に十本のタケノコが中身だけになった。それを持って家の土間に入る。土
間にはダルマストーブが赤々と燃え、上に置かれた釜のお湯が煮えたぎっている。そこに
米ぬかひと袋を豪快にぶち込み、タケノコを入れる。「とにかく掘ったらすぐに煮ないと
ダメなんだい。アクが出る前に煮るんだいね・・」これをグラグラと一時間煮る。   

 煮ている時間にさち子さんに昔の話を聞く。昔住んでいた家に帰ってきて、どうしても
話は、ここで暮らしていた時の話になる。                     
 さち子さんはこの家で産まれて、この家で育った。お墓には元禄年間の文字が刻まれて
いるくらい、昔からここにある家だ。学校から帰ってくると、安谷川に一目散に飛んで行
って、魚捕りをするような子だった。父親の後を追いかけて、魚突きをしたり釣りをした
りした。安谷川が遊び場だった。                         
 猟師だった父親が熊や鹿やイノシシを獲ってきた、その解体をじっと見たりしていた。
冬はヤマドリやウサギを獲ってきた。自分で山ウサギの解体をやったこともある。   
 父親がある日、鹿を獲って来た。その鹿を解体して、赤い血を両手ですくって飲んでい
たのを今でも覚えている。イノシシ鍋をするからと言われて来たら、まだ解体前のイノシ
シが転がっていて、それを解体しながら鍋にしたのも懐かしい思い出だ。       

 羊も飼っていた。豚も飼っていた。豚の子取りをしたこともある。産まれた雄豚の去勢
をしたこともある。「カミソリで切って、赤チンを塗るだけなんだいね。あんなやり方で
も結構平気なもんだったいねぇ・・」                       
 醤油も味噌もわさび漬けも作った。どぶろくも作っていた。父親が酒飲みだったので、
酒を飲みながらわさび漬けを作っていたのを思い出す。山から降りてくる炭焼きの人たち
に酒を振る舞ったりしたものだった。結婚した時に「これで婿と酒が飲める」と思ってい
たら、お酒が飲めない幸典さんだったので、がっかりしたようだったのを覚えている。 

 タケノコが柔らかく茹で上がった。釜から出して水に放つ。全部は食べきれないので、
三個だけご飯用に刻む。ニンジンを刻み、油揚げを刻み、ゴボウはササガキにして軽く茹
でる。全部合わせて鍋で炒め煮にする。土間にいい匂いが漂う。「いつもは炊き込みにす
るんだけど、今日は量が多いんで混ぜご飯にしましょう・・」とさち子さん。持参した炊
飯器で四合のご飯を炊く。                            
 囲炉裏には炭が赤々と燃え、ヤマメとイワナが串に刺されて焼かれている。この家の間
借り人の若者も合流して、ヤマメを焼くのを手伝う。猟師でもある幸典さんが、自分で獲
ったという鹿の肉とイノシシの肉を七輪で焼く。美智子さんが、おはぎや柏餅を出してく
る。行者ニンニクの醤油漬け、からし菜の和え物などがズラリと並ぶ。鍋の具材もいい味
に煮込まれた。あとはご飯が炊ければ準備が整う。                 

土間の釜に米ぬかを入れて、一時間ほど柔らかくなるまで煮る。 鍋で煮た具材とご飯を混ぜて、タケノコご飯の出来上がり。

 ご飯が炊きあがった。大鍋にご飯と具材を入れて混ぜご飯にする。「自宅だったら飯台
があるんだけど、ここにはないから鍋でやりましょう・・」さち子さんが熱々のタケノコ
ご飯を作りながら言う。出来上がったご飯を茶碗によそって「さあ、いただきましょうか
ね・・」「みそ汁はないけど、おかずはいっぱいあるから、いっぱい食べてね・・」  
 ご飯を口に運ぶ。醤油の香りが鼻をくすぐる。油揚とタケノコがいい相性だ。噛んでい
くとゴボウが主張してくる。いやあ、待ったかいがあった。これは旨い。タケノコは柔ら
かく、えぐ味もなく、歯ごたえはしっかりとしている。掘りたてのタケノコご飯は本当に
旨い。「これがさっきまで畑に生えていたんだからねぇ、何だか不思議ですよね・・」 

 山笑う季節。山の幸に舌鼓を打つ。なんという幸せ。               
 タケノコご飯も、ヤマメもイワナも、鹿肉もイノシシ肉も、おはぎも柏餅も、行者ニン
ニクもからし菜も、みんな旨い。お酒が飲めないのがくやしい。