山里の記憶90


のごんぼう餅:野口トミさん



2011. 5. 4



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 五月五日はいわずと知れた端午の節句。風薫る五月の青葉に、こいのぼりが雄壮に泳ぐ
姿は日本各地の風物詩となっている。端午の節句を前に、餅をつく家も多い。知り合いか
ら、この日「のごんぼう餅」をつく家があると聞いて取材を申し込んだ。       

 秩父でいう、のごんぼうとは、オヤマボクチ(雄山火口)の別名で、キク科ヤマボクチ
属の多年草だ。アザミ類に属し、根をヤマゴボウとして食べる山菜としても有名だ。  
 オヤマボクチの語源は、葉の裏にまっ白く生えている繊維を、火起こし時の火口(ほく
ち)として用いられたことから名付けられた。様々な形で昔から利用されてきた山菜だが
、山の日当たりの良い斜面に育つという習性から、徐々に少なくなっている。のごんぼう
を使う人も少なくなり、「のごんぼう餅」は今や幻の味となりつつある。       

 「のごんぼう餅」を作ってくれるのは、神川町矢納の野口トミさん(七十五歳)と不三
夫さん(七十九歳)のご夫婦だ。家に伺うと、トミさんが出迎えてくれ、すぐに畑に案内
された。のごんぼうを摘むところから見せてもらえるということで、カゴを背負って畑に
向かうトミさんの後についていった。                       
 家のすぐ近くに急な草の斜面があり、そこにのごんぼうが生えていた。山から運んで育
てているとのこと。この斜面に合っているらしく、立派に成長している。日当たりも、水
はけも良い草付き斜面だ。のごんぼうはこういう斜面を好んで生える。本当にゴボウに良
く似た葉で、葉裏にはふかふかした繊毛がまっ白く生えている。この繊毛が独特の食感を
生む。長野県では繊維の多さを利用して、蕎麦のつなぎに使うところもある。     

5月4日だが、この集落でこいのぼりを立てる家はない。 急斜面の畑で、のごんぼうの葉をつまむトミさん。

 トミさんが大きく育った葉を摘み採り始めた。見ていると、ずいぶん大きな葉を摘んで
いる。若い葉を摘むものだとばかり思っていたので驚いていると「こうやってスジを取る
から大きい葉でも大丈夫なんだいね・・・」と手でスジを抜いて見せてくれた。    
 葉脈の根元に親指を突っ込んで葉先に引っ張ると、スジをのこして柔らかい部分が取れ
る、何度かくり返すと、太い葉脈だけが残る。ちぎれるスジは柔らかいスジなので、その
まま入れてかまわない。トミさんの手がクルクルと動き、カゴには葉の柔らかい部分だけ
がどんどん溜まっていく。                            

 カゴいっぱいの葉を釜で茹でてアクを出し、絞ったものを冷凍して必要な時に使う。こ
の時期に大量に冷凍しておけば、いつでも「のごんぼう餅」を作ることが出来る。この辺
のやり方は、ヨモギをもち草として冷凍しておくやり方と一緒だ。          
 今回は、事前に作っておいたものを使って餅をつく。庭にはカマドが据えられ、羽釜の
湯が沸いている。そこにセイロに入ったもち米が乗せる。もち米は一升、四十分くらい蒸
すので、その時間に庭のベンチでいろいろ話を聞いた。               

 ここ矢納は、端午の節句にこいのぼりを上げないという珍しい集落だ。       
 その昔、裏城峯に平将門が潜伏していたと伝えられる隠れ穴がある。矢納はその隠れ穴
に通じる山にあり、こいのぼりを上げると、追手に居場所を知らせることになってしまう
ので、禁じられたといういわれだ。いまだにそれを守っているというのがすごい。   
 不三夫さんが笑いながら言う「楽でいいやねえ、どこかで上げると競争になるし、そう
いういわれがあるからって言えば、買わなくて済むしねえ・・あはは」        

 トミさんがのごんぼうの塊を持ってきた。一升のもち米に、この葉の塊ひとつ半がちょ
うどいい配合だという。塊をほぐしながら、のごんぼうをちぎって蒸しているもち米の釜
に入れる。草もちよりずっと繊維が多いので、ちぎるのが大変だ。もち米の上に散りばめ
て、一緒に十分から十五分くらい蒸せば準備は終わる。               
 蒸し終わったもち米を立ち臼に運ぶ。この臼は、大きい四升臼なので、一升のもち米で
は、何だかやけに少なく見える。杵を持って不三夫さんがこね始める。こねるごとに緑色
が濃くなってくる。こうして見ると、草もちの色よりも濃い。            

 昔、おふくろが正月に作ってくれた「のぼんごう餅」は茶色だった。冷凍設備などなか
った昔、春に採った葉を乾燥させて保存しておいたのだろう。それを、水か湯で戻して使
ったので、茶色だったのだと今気づいた。考えてみれば当たり前で、春の葉を正月まで保
存するには、その方法しかなかったはずだ。                    
 今の今まで、のごんぼうといえば茶色の餅を連想していたのがおかしくなる。本来はこ
んなにも緑濃い餅だったのだ。目からウロコが落ちたような気分で、不三夫さんがこねる
のを見ていた。もちろん、途中で交代して私もこねさせてもらった。         
 餅つきは、不三夫さんとトミさんの息がぴったり合った二人にまかせた。      

 一般的に機械でつく餅よりも、臼でつく餅の方が固くならず、いつまでも柔らかい。そ
れは、臼で餅をつく時には「合いの手」で入れる手水が、餅にどんどん加わるからだ。水
分を均一に多く含んだ餅は、柔らかくどこまでも伸びる。当然、舌触りや歯ごたえも違う
から、臼でついた餅は美味しいと誰もが言う。                   
 餅をつきながら不三夫さんが言う。「昔はよく餅つきをやったいねえ、今じゃあ年寄り
べえで、餅をつくような講もなくなっちゃったからねえ・・・」トミさんがつき終わった
餅を伸し板に運ぶ。伸し板には、まっ白い餅とり粉が広げられ、その上に餅が置かれた。

庭の釜で蒸かしている餅米に、のごんぼうの葉を加える。 アンコ餅を作るトミさん。みんなでワイワイ言いながら。

 今日は一升のもち米で、三十個ほどのあんこ餅を作る。あんこは近所の野口さんが作っ
て持ってきてくれた。いつもこうして近所で協力して餅をつく。           
 つき上がった餅を、小さくちぎって小皿に取り分けてくれた。これに、用意されたオロ
シ納豆をからませて、からみ餅にして食べる。久しぶりの「のごんぼう餅」だ。    
 その食感がいい。何というか、草の繊維をそのまま食べているような食感。草もちほど
の香りはない。ひたすら、噛む感触を味わう。クセのない味で、噛む感触こそが「のごん
ぼう餅」の味なのだと再確認する。昔、正月に食べたおふくろの「のごんぼう餅」は、独
特の香りがあったような気がするが、乾燥させて保存したからなのだろう。      

 女衆が縁側であんこ餅をつくる。両手でクルクルと丸めて、板にバンと打ちつける。丸
い餅が扁平で食べやすい形に変わる。やり直しできないこの力加減も難しい。みるみる丸
いお餅が出来上がり、予定通り三十個のあんこ餅が出来た。             
「さあさ、みんなで食べましょう」と、出来上がったあんこ餅を、庭のテーブルに運ぶ。
 トミさんがお茶を入れてくれた。美味しいあんこ餅を食べながら、トミさんに昔の話を
聞かせてもらった。                               

余った餅は伸し餅にする。のごんぼう餅は歯ごたえが独特の餅。 餅作りを終えた二人に並んでもらって写真を撮った。

 トミさんは万場町からここ矢納に嫁に来た。トミさん二十四歳、不三夫さん二十八歳の
時だった。結婚して去年で五十年の節目を迎えた。近所の野口さんの話によると「トミち
ゃんは、タイトスカートの似合う美人だったよね・・」とのこと。          
 トミさんが嫁に来たとき、八十六歳のひいおばあちゃんと六十歳のおばあちゃん、七人
の小姑がいた。一番下は十歳の小姑がいたという。三世代が同居する大家族での暮らしは
大変だった。釜いっぱいに茹でたジャガイモが夜にはなくなるような食欲を満たさなけれ
ばならなかった。                                
 嫁に来た当初は電気もなく、夜、暗く細い山道を歩くのが本当に怖かったそうだ。家で
は、大規模な養蚕、コンニャク作り、麦やトウモロコシの栽培、さらには五頭の牛まで飼
っていた。トミさんは黙々と働いた。体が丈夫だったからこそ出来たことだった。   
「忙しいべえで、体を休める間はなかったいねえ・・・」年に一度の楽しみは城峯神社の
お祭りだった。小鹿野から村芝居が来て、それはにぎやかなものだった。学校も休みにな
って、みんなで見に行った。なぜか大怪我の多かった不三夫さんに、五回も死ぬほど心配
させられたが、あっという間の五十年だった。                   

 トミさんがお茶請けに出してくれた料理がどれも美味しかった。ウドと芯かき菜の豆腐
胡麻和え、こんにゃくの胡麻油炒め、ワサビの葉とキャベツの漬物、麹漬けのたくあん。
 どれもひと味工夫されていて、他にない味になっている。不三夫さんが「おれは味にう
るさいんだい、食う専門だけど・・」と笑う。横で、ニコニコそんな不三夫さんを見てい
るトミさんが、何ともおだやかで、あったかく感じた昼下がりだった。