山里の記憶91


枝打ち:森越勝治さん



2011. 10. 10



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 十月十日、体育の日。朝五時に起きて秩父に向かう。今日は枝打ちの取材で、朝八時に
両神役場で待ち合わせている。家を出た時はまだ暗かったが、走っているうちに明るくな
ってきた。晴れて涼しく、気持ちいい朝だ。                    
 七時四十五分に役場に着いた。すぐに止まっていた軽トラから人が下りてきて声をかけ
られた。「黒沢さんですか?」「そうですが・・」「今日お世話になる森越です」「あっ
、初めまして黒沢です。よろしくお願いします」勝治さんの息子さんだった。     
 今日は、森越勝治さん(八十歳)がやっている、十五年生の杉・ヒノキの枝打ちを取材
させてもらうことになっていた。待っていたのは息子の満さん(五十歳)だった。   

「おやじは五時起きで山に入ってるもんで・・」「じゃあ、急ぎましょう」すぐに軽トラ
が走り出し、その後を追う。車は山奥に向かってずんずん走る。どこまで行くんだろうと
不安になるが、ついて行く。とうとうバスの折り返し地点まで来てしまった。この奧は両
神山の登山口に当たる両神山荘しかないはずだ。                  
 と、ここで車が止まり。満さんはすぐに身支度を始める。横に車を停めて、私も急いで
身支度をする。山仕事用の長靴を履き、腰皮をつけ、手袋をする。リュックには取材ノー
トの他、お茶とおにぎり、タオル、ジャンパーを入れた。              
「ここから一時間の登りです」と満さんは簡単に言う。見上げる先は山しかない。最初は
階段を登る。人家の横を抜けると山道になる。「一時間かあ・・」覚悟をきめる。   

急坂を登るため、満さんが竹で杖を作ってくれた。 枝打ちをする勝治さん。この高さまで登ってナタを振る。

 造林地の横を縫うように一メートル幅でジグザグと登って行く。山道に入ると急に勾配
が厳しくなる。角度で三十五度くらいだろうか。歩きながら手が付きそうな急勾配。満さ
んが途中に倒れていた竹で杖を作ってくれた。それを突きながらゆっくりと登る。額から
汗が流れ落ちる。                                
 ぐんぐん標高が上がる。見晴らしの良い場所で休憩。両神山が目の前に見える。「あれ
が千七百だから、ここで千ぐらいかさあ・・」満さんが言う。この方向から両神山をこの
角度で見ることは普通の人には出来ない。この造林している斜面は、長さで五百メートル
くらい、高さで三百メートルくらいだという。五百メートルの直登か・・・これを毎日登
っている八十歳というのは、人間じゃないんじゃないか・・・すごすぎる。      
 汗が額から噴き出してくる。帽子を取って汗止めにタオルを頭に巻く。       

 やっと山頂の松が見えてきた。コーンコーンと枝打ちの音が聞こえる。勝治さんが枝打
ちをしている音だ。姿が見えたので「おーーい」と手を振る。「おー、早かったなあ」と
ゆっくりとこちらに向かって降りてくる勝治さん。久しぶりの再会だったが、挨拶と一緒
にへたり込んでしまった。                            

 ここには杉とヒノキが五対一の割合で植え付けられていて、下が杉、上がヒノキという
構成になっている。約十五年生ということで、第一回目の枝打ちだった。今のご時世では
山に手をあまりかけられないので、出来るだけ上ギリギリまで枝打ちをしておく。   
 五月の連休から始めて、五ヶ月で終わる予定だった。「九月で終えるはずだったが、十
日ほどおまけがついたいなあ・・」と勝治さん。今日が最終日だ。今日を逃したらこの取
材は出来なかった。何と運のいいことよ。                     
 全体で二町五反という面積だが、急斜面のため、実面積はずっと広い。これだけの広さ
を一人で枝打ちした。息子の満さんは土日だけの手伝いだった。「そうだいねえ、二十日
くらいやったんかさあ・・」                           

 休み時間に使っている枝打ち用のナタを見せてもらった。満さんが使っているのは刃が
二段に湾曲している長刃のナタ。柄は短い。                    
 勝治さんが使っているのは、柄が長く、刃が鎌のような形をしたナタ。新勝流の万能ナ
タに近い形状。                                 
 どちらも森林組合を通して買う。刃には「土佐打ち刃物」の刻印があるが、もう消えそ
うになっている。よく使い、よく研いだ証だ。どちらも切れ味はするどい。      

 ひと休みしてすぐに作業再開。満さんも慣れた手つきで枝打ちを始めた。三メートルの
ラダーを幹に掛け、登りながら頭上の枝を切る。ラダー上からは足場になる枝を登る。幹
がビールビンの太さくらいまで登り、そこから枝を落としながら降りてくる。     
 書くと簡単だが、大変な作業だということはよくわかる。ナタを使うので膝や手を切る
危険が大きい。素人ではとても出来ない作業だ。                  
 細い枝に乗り、片手で全体重を支え、片手でナタを振る。体を絶対に傷つけないことが
大前提なので、切る枝の側に膝や手や体がないことを確認してナタを振る。ヒノキなので
一回や二回でスパッと切れることはまれだ。何度もナタを振る。           
 二人とも何気ない顔でさらりとやっているが、実際に自分でやるとなると、出来るかど
うか、はなはだ疑問だ。そのくらい難しいバランス感覚・・「手伝いましょう」のひと言
が口から出ない。                                

 作業に夢中になった二人を邪魔しないように、周辺の散策をする。切り立った尾根の反
対側は大木がたくさん倒されてヒノキが植林されている。あの木の周辺にキノコでも出て
るのではないかと目をつけておいた。                       
 百メートルほど下った場所の倒木にヒラタケが出ていた。狙った通りだ。袋一杯のヒラ
タケを収穫して尾根に登るのがきつかった。下るのはあんなに楽だったのに・・・ふう。

 お昼になったので作業を止めて尾根に出て昼食。勝治さん、満さんといろいろ話しなが
ら、お茶を飲み、お握りを食べる。勝治さんの弁当箱にぎっしりのご飯が詰まっている。
「4時起きで山に出るから腹が減るんだい。こんくらい食わなくちゃあ・・なあ」元気な
元気な八十歳だ。                                
 「今年は補助金も出ねえんだい。地震や台風でそっちの方に金を使うようになっちゃっ
たんだいなあ・・」「いくらかでも補助金が出りゃあ、やる気も違うんだけどねえ・・」
「まあ、仕方ないやねえ・・」「孫の代で売れりゃあいいんだい」「売れねえだんべえ」
 谷の向こう側の日が当たった二子山を見ながら、二人の会話が続いている。     

お昼は、見晴らしの良い尾根に上がって食べた。 午後の枝打ち。私も十本ほど手伝った。

 午後の作業から思い切ってやらせてもらうことにした。勝治さんから道具を借りて、ラ
ダーに登る。下から勝治さんが指導してくれる。頭の上の枝を切り落としながら上に登る
。刃の長いナタは使った事がないので慎重に振る。よく切れるのが返って怖い。    
 上に登ると、思った以上に幹が揺れる。片手で枝を持ちながら、右手のナタを振って枝
を切る。枝が残らないように、幹を傷つけないようにと気を使う。何度も振っていると右
腕の感覚がなくなってくる。やっとの事で一本終えてラダーから降りてきた。     

 「黒沢さんは重てえから木が可哀想だいなあ・・何キロあるんだい?」「七十キロ!」
「俺なんざ四十五キロだかんねえ、木だって気になんねえんだい・・」確かに重い人間に
はつらい。何より、左手で体重を支えるのがつらい。勝治さんに笑われながら次の木に向
かう。久しぶりの枝打ちは考えていた以上にきつい。                
 汗を流しながら、それでも10本のヒノキを枝打ちした。しかし、それでもう両腕が限
界だった。正直に「もうダメです」と言って、勝治さんに替わってもらった。交代してし
ばらくは両腕がプルプルして文字が書けなかった。                 

勝治さんが五ヶ月枝打ちをした、見事なヒノキ林。 最後の二本を枝打ちする、勝治さんと満さん。

 作業している勝治さんについて動き、いろいろ話を聞かせてもらった。勝治さんは、こ
の枝打ちを、埼玉県の植樹祭用の審査に出そうとしている。難しい審査だが、もし一番に
なれば、表彰されて知事と並んで写真が撮れ、全国植樹祭に招待されるという。勝治さん
の八十歳の夢だ。                                
 二位と三位は林野庁長官賞なのだが、これもかなり難しいだろうという。「学校で勉強
もしねえで、こんな事べえ習ったんだいなあ・・」という八十歳の夢。何とか夢が叶うと
いいのだが。こればかりは審査の結果を待つしかない。結果が出るのは来年の五月だ。 

 八十歳にしてなお夢に挑戦し続ける、その気力と体力には本当に頭が下がる。    
 素晴らしい八十歳。郷土の誇り。                        


 平成二十四年五月二十日、埼玉県春日部市にて開催された埼玉県植樹祭にて、勝治さん
の「スギヒノキ十七年生」の枝打ち林は、第六十二回埼玉県森林整備コンクールにて優秀
賞を受賞した。合わせて林野庁長官賞も受賞した。ここに写真を掲載させて頂き、その栄
誉を称えたい。小鹿野町での受賞者は勝治さんただひとり。素晴らしいことだ。    

5月20日埼玉県植樹祭で優秀賞を受賞した勝治さん。 自宅の炬燵で林野庁長官賞の表彰状を掲げて満面の笑み。