山里の記憶
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みかんを作る:久保勇太郎さん
2011. 11. 16
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十一月十六日、みかん作りの取材に行った。みかん栽培の北限は寄居の風布(ふうぷ)
と言われている。今回は風布ではなく、東秩父村の大内沢・堂平というところのみかん園
を取材した。訪ねたのは久保勇太郎さん(七十五歳)のお宅で、勇太郎さんは芋掘りをし
ているところだった。すぐに挨拶をして、そのまま家に招かれた。
勇太郎さんは二年前にみかん栽培組合を抜けた。同時に観光みかん園もやめた。ただ、
みかんは今も作り続けている。炬燵でいろいろ話を聞きながら、出されたみかんを食べて
みた。もちろん勇太郎さんが作ったみかんだ。売っている普通のみかんより少し内袋がか
たいくらいで味はおいしい。甘いだけででなく酸味がほどよく効いている。
「うちのみかんは長持ちするよ。酸味があるからね・・」「東松山の孫が『売ってるみか
んより、秩父のじいちゃんのがおいしい!』って言ってくれるんだい」と、孫の話に勇太
郎さんの顔がほころぶ。
家は何百年も続く旧家。軒先に芋がらを干している懐かしい風景。
家で出されたみかんは、もちろん勇太郎さんが作ったみかん。
山のみかん園に案内してもらった。勇太郎さんのみかん園は日当りの良い南斜面にあっ
た。周辺もほとんどが観光みかん園で、空も広く、暖かく、なんだか秩父とは思えない風
景が広がっていた。ここは北風が当らないのだという。
他の観光みかん園のみかんの木は、幼稚園の生徒や小学生でも手で実が採れるように低
く仕立てられている。葉も剪定されて少なく、どの木にもみかんが鈴なりで、見るからに
みかんを採りたくなる光景だ。勇太郎さんのみかん園は剪定されておらず、葉が伸びたま
まになっているが、その枝にはみかんが鈴なりだ。
勇太郎さんのみかん園には四十年ほど前からみかんの木が植えられ、育てられてきた。
約三百本のみかんが植えられている。車で運んで来た段ボール箱三個を同行した人に渡し
て「どんどん採っていいよ」「もう、出荷してないから知り合いに配るだけなんで、いく
らでも持って行っていいよ」と言う。
言いながらどんどんみかんを採って段ボールに入れる。専用のハサミでへたの部分を丁
寧に切って箱に入れる。丁寧に切らないと他のみかんを傷つけてしまい、そこから腐る原
因になる。
収穫をしている勇太郎さんにいろいろ話を聞いた。昔、組合に入っているみかん園が二
十くらいあったが、今は八軒だけになってしまった。勇太郎さんは方針の違いから二十年
前に組を抜けていた。今は出荷もしていないが、手入れだけはきちんとしている。
みかんの手入れは剪定、除草、施肥、消毒などがある。剪定は収穫が終わってから、来
年の実が良く付くように剪定する。除草は草の勢いが強い時にたまに除草剤を撒くくらい
で、あまり気にしない。
肥料は春先、花が咲くころに、みかん専用の配合肥料を撒く。石灰または消石灰を土壌
改良のために撒く。みかんの色は肥料の量で決まる。肥料が少ないと色の白っぽいみかん
になってしまう。消毒は五月にアブラムシ防除の農薬を散布する。動力を使って長いホー
スを畑に引き込んで散布する。虫が付いた実は食用にならない。虫が付かなかったり、病
気にならなければ、基本的に消毒はしない。
花が咲くと多くのミツバチがやってくる。勇太郎さんも飼っているし、他の家でも飼っ
ている。病気対策などからもミツバチは大切な存在だ。同じ温州みかんでも、様々な品種
があり、何種類もの木を植えている。花の時期が微妙に違ったりするのも、ミツバチにと
って嬉しい環境だ。
そして、実がつくと摘果という作業が待っている。混みすぎた実をピンポン球より少し
小さいくらいの時にハサミで切り落とす。大きく育ってちょうど鈴なりになるように摘果
する。成りが良い年は粒が小さい。今年は違い年で、成りが悪いという。成りが悪い年は
実が大きいのだという。摘果によっても実の大きさは変わる。当然、実を少なくした方が
、ひとつひとつは大きく育つ。
摘果したあと、本来なら日当りと見映えを良くするために葉を剪定するのだが、みかん
の出荷を止めてしまった今はやっていない。観光みかん園などのみかんが、キラキラと輝
くように見えているのは葉を剪定しているからだ。
鈴なりのみかんを採って、どんどん箱に入れる勇太郎さん。
みかんを採りながら、みかん栽培のあれこれを教えてくれた。
畑には何本もの苗木が植えてあり、風よけのビニール袋がつけられていた。枯れる木も
あるので、買って来た苗木を継ぎ足しに植えてある。苗木を買う時も、いろいろな品種が
混ざるように買ってくる。
畑の中には三本か四本の「奥手」の木が植えられている。この「奥手」のみかんはまだ
緑色が残っている。こういう木がないとダメなんだと、勇太郎さんは言う。
苗木の多くはカラタチ(枳殻、枸橘)やユコウ(柚香)の台木に温州みかんが接ぎ木さ
れたもので、丈夫で、病気にも強い。しかし、うっかりすると、台木の部分からカラタチ
やユコウの枝が出て来てしまうので、これは全部丁寧に切り落とす。そうしないと元々の
枝なので生命力が強く、みかんの枝を弱らせてしまうからだ。もちろん、その枝にはみか
んは成らない。
狭い車道の両側に、すぐ手が届く場所にみかんが成っている。こんなに道の近くでは誰
に盗られても不思議ではない。勇太郎さんにそんな心配を聞いてみた。
「ドロボウも来るけど、気にしてられないやね。昔はでかい袋一杯持って行かれた事も
あったけけどね・・」どこにでもひどい奴はいる。
人間以外にもみかんを盗る奴がいる。ヒヨドリ、カラス、ハクビシン、ササグマ(アラ
イグマ)、タヌキ、メジロなどなど、天敵が多い。クマはまだ出ていないそうだ。メジロ
が食べに来る木は他よりも甘い実が付いているので、それを目安にすることもある。「あ
の木はメジロが来てるから、甘いよ・・」と人に教えたりもする。
今年はなぜか鳥が少ないのだという。メジロだけでなく、スズメも少なく、稲に飛んで
くるスズメが少ないという。本来生息していなかったガビチョウなどが繁殖していること
も影響があるのかもしれない。生態系が少しずつ変わってきているようだ。
三箱の段ボールがみかんでいっぱいになった。勇太郎さんは「これは土産に持っていけ
」と、我々の車に段ボールを積み込んだ。恐縮しながら車で家に戻る。
勇太郎さんの家には、芋がらがいっぱい干してあった。聞くとトウノイモという品種の
芋がらだそうな。近所のお祭りでこれを名物として販売したらどうかということで干して
いるのだという。今では本当に珍しい、芋がらを干している風景を写真に収めた。
家の裏に珍しい石仏があるというので案内してもらう。途中の道の横に「芋穴」が掘っ
てあったので見せてもらった。入り口の蓋を除けると、大きな穴蔵がぽっかりと口を開け
ていた。中に入ると、人がひとり動き回れるくらいの広さがあり、暖かく湿っていた。
勇太郎さんはここにショウガの種を保存しておくのだという。もちろん、芋類もここに
埋けておく。寒くなった時に、ここに埋けておかないと凍みて腐ってしまうからだ。昔は
どこの農家にもあったものだが、今では珍しい芋穴。貴重なものを見せてもらった。芋穴
の壁から山芋が下に伸びていた。あれは掘らずに収穫出来るのでいい。
家の裏にある「芋穴」に入ってみた。上からのぞき込む勇太郎さん。
家に戻って炬燵でふたりにいろいろ話を聞いた。
裏山は巨大な岩に土が乗ったもの。頂上に「山の神」が祀られている。珍しい石仏とい
うのは金精様だった。石仏そのものよりも、横に供えられていた「カキ花」に驚いた。
カキ花とは、オッカドやマメブチの枝を鎌のような道具で削って作る削り花。毎年、小
正月に供えているという。二年前、小鹿野町の倉尾で取材したものだが、その地区では取
材した人が最後の人だった。それが、ここ東秩父村でも行われていたことに驚かされた。
巨岩の上に大きなコナラの木が枝を広げていた。樹齢五百年から六百年くらいありそう
な巨木だ。まるで家の守り神のように枝を広げているその姿は圧巻だった。
山の畑にネギが植えられ、横の木にはユズがいっぱい成っている。畑の向こうには炭焼
き小屋があり、家の暖房となる炭を今でも焼いている。豊かな風景だ。
家に戻って、炬燵に入って、いろいろ話を聞く。今度は奥さんのことさん(七十五歳)
も一緒だ。ことさんがお茶請けに作ってくれた「揚げモチ」が美味しかった。
ことさんに芋がら料理の取材をお願いしたり、トウノイモを見せてもらったり、昔の話
を聞いたりした。中でも「かて飯」の話は興味深く、是非機会があったら取材させてもら
いたいものだった。トウノイモの料理や、芋がらを使った料理も是非取材したいものだ。