瀬音の森日記 14


なぜイラストなのか



1998.10. 6
なぜイラストを描くようになったのか、なぜ個展を開こうと思ったのか

デザインの仕事を始める前にはイラストを趣味で描いていた。デザインの仕事を始める時に
趣味でイラストを描くのをやめた。これから仕事になるものを趣味にしてはいけないと思っ
たのだ。そして新しく趣味として釣りやバイクやスキーを始めたのだった。もう25年も前
の事だ。                                     

デザインの仕事はデジタル化し、コンピューターでデザインするようになって久しい。この
デジタルデザインを繰り返しながら、自分の中でデジタルでないもの・・唯一無二のものに
対する憧れとも羨望ともつかないものが芽生えていった。               

そんな中で知り合いのデザイナーがイラストの個展を開いた。それを見ながら自分でも出来
るかも知れないと思い、急にイラストを描いてみようという気になったのだ。すっかり忘れ
ていた絵を描くという行為。筆も画材も新しく買い揃え、手始めに年賀状を全て手描きの猫
にしようと連日同じような猫を200枚以上のハガキに描いた。            

もともと木が好きなので板に描いたらどうだろうか?・・・・             
試行錯誤しながら現在の手法にたどり着いたのは1年後の事だった。          

そんな時、昨年の3月、母が他界した。                       

絵が好きで、花や木や鳥が好きだった母親から多くのものを与えられていた。この「絵を描
く」という才能も母親からもらったものだ。もろもろの母を送る行事が終わり、ポッカリと
穴のあいた頭の中に「そうだ、個展を開こう!」という思いが浮かんだ。9月の事だった。
母親からもらった力をどこまで伸ばせるかが、子として産まれた者の勤めではないか。  

それから個展の会場を探すための画廊回りが始まった。澁谷、青山、銀座・・・本の情報を
参考にしながら自分の足で歩く。場所の分かりやすさ、会場の広さ、料金、休廊日など、自
分で行って見て、聞くのが一番だ。歩いてみると本に載っていない画廊も多く、楽しい体験
だった。                                     

ところが、問題が出てきた。意外なことに土曜、日曜が休みの画廊が多いのだ。私のように
来場者の大多数が土日に集中する人間にとってこれは大問題である。          
結局、条件に合う画廊は何カ所も無く、その中の「銀座アートプラザ」に決まったのは11
月の事だった。しかも望んでいた9月10月での個展開催は予約が一杯で11月末の1週間
という事で1年先の予約をした。画廊も混んでいるのだ。               

それからヒマを見ては魚の絵を描く日が続いた。1枚1枚と仕上がっていくと次第に愛着が
増してきて、魚がまるで生きているような気がしてきた。出来上がった魚の絵に囲まれて晩
酌をチビチビやるのが無上の時間になった。デジタルデザインではけして味わえない満足の
作品が出来上がっていく。ここに一枚しか存在しない絵、これが求めていたものだった。 

いろいろな所で釣りをする。場所によって違う魚の色、それを表現するのに懸命になる。自
分で釣った時の感動を何とか絵にしたいと懸命になる。楽しい時間でもあり、苦しい時間で
もあり・・・釣りと絵の二つが融合する、まさに私の理想とする時間でもあった。    

デザイナーとして仕事をして、イラストの個展を開く。それは自己満足の世界ながらも自分
にとって一つの頂点と考えていた。ところが、その後の展開はそれを許さない。     

瀬音の森である。                                 

瀬音の森の話が出た時は自分でやろうなんて考えてもいなかった。どこでどう意識のパイプ
がつながってしまったのか?自分でやるなんて言ってしまった。さあ困った、自分に何が出
来るのか?・・・・・                               

考えて考えて、自分の作品に行き着いた。これを何とか使えないか?・・・・      

どういう展開になるか分からない。ただ言えることは、個展は頂点などでは無くなり、スタ
ートになった・・という事だった。これが瀬音の森の第一歩になるのである。案内状にも瀬
音の森の説明と協力依頼を入れた。個展だけならともかく瀬音の森?何じゃこりゃ???と
なることも大いに考えられるが、スタートなんだから仕方ない。            

長い長い道を歩き出す前夜というのはこんな気分なんだろうか?            

さあ、あとはまた明日から。