瀬音の森日記 72
中村敦夫議員と熊本へ 3
1999. 7. 18
7時半起床。ひたすら温泉に入って汗を流し、昨夜の酒を抜く。朝食を食べるのも
しんどい。みそ汁だけがひたすらおいしい。
9時出発。いつものようにバスで瀬戸石ダムへ向かう。吉村さんの解説で瀬戸石ダ
ムがいかに危険で問題が多いかを聞く。漁協にとっては天敵とも言える存在がダム
なのだ、無理もない。なぜ四国の電力事情の為にここ球磨川にダムを作らなければ
ならないのか?なぜ漁協が川を維持する為にダムから水を買って流さなければいけ
ないのか?・・吉村さんの怒りは止まるところを知らない。同乗していた【美しい
球磨川を守る市民の会】のつるさんが今までのいきさつや漁協内部の解説を丁寧に
してくれた。
瀬戸石ダムに作る予定の魚道はトンネルで、暗いと鮎が登らないので内部に照明を
付けようというバカバカしさに一同笑ってしまった。例え魚道が出来て鮎がダムを
登ったとしても鮎はトンネルを出たとたんに止水で方向を見失ってグルグル回って
しまう事になる。流速毎秒80センチの流れがないと鮎は上流を判断出来ないのだ
という。魚道よりも水を流して欲しいのだ。
瀬戸石ダムで漁協の塚本さん、元組合長の三室さんの迎えを受ける。ここから塚本
さんがバスに乗ってくれて、漁協の現在の情況を説明してくれた。そうこうしてい
るうちに荒瀬ダムに着いた。ダムの本体上を車が走れるようになっていてその欄干
部分にダム設計者の名前がプレートに書かれている。川にとって最悪なものを造っ
て何を誇ろうと言うのか・・・・
ここでは10億円をかけて魚道を造っている。巨大なエスカレーターのようなジグ
ザグ魚道が30メートルはありそうな高さまで続いている。「本当にこれで魚が登
るのかい?」中村議員の質問に吉村さんが答える。「確かに登るでしょう、水さえ
流れていれば。・・・でも、一番問題なのはこのダムの下の魚道登り口まで鮎が来
られるかどうかなんです。」
見ると水面はピタリと閉ざされ、水はちょろちょろ流れているのみ、この下流は止
水の、水たまりになっているのだ。この下流、発電所の排水口までその状態が続く
のだから鮎がここまで上がりようがないのだ。鮎が上がる時期だけでも水を流して
欲しいと交渉しているそうだが、なぜそれくらいの事が出来ないのか不思議だ。
荒瀬ダムの魚道はむなしいモニュメントだ。魚道を造ったという建設省のポーズと
しか思えない。
11時、球磨川漁協表敬訪問。会議室での対話集会が始まった。漁協側の出席者と
我々視察団が向き合う形で4列づつの長机に座った。まずは高澤組合長の挨拶。そ
して中村議員の挨拶、山下さんの挨拶と続く。それに対して漁協各理事からの発言
があった。概要は「漁協としては総代会で絶対反対を決議しており、今後もその考
えは変わらない。一部に建設省の話を聞いた方が良いという意見もあるが、あくま
で絶対反対を貫きたい。」というものだった。
昼食のお弁当を食べながらもディスカッションは続いた。漁協各理事の必死の思い
や外からの重圧がひしひしと伝わってきて、ここが川辺川ダム反対の最前線なのだ
と実感した。我々に出来る事はこの球磨川漁協を孤立させないことと、熱い応援な
のだ。応援のメッセージを送る事なのだ。
熱のこもった集会も熊本へ行く時間になってしまったので終了。漁協前で記念写真
の撮影が行われた。この時ばかりは全員ニコニコ顔。これからもこの団結力でダム
建設反対を貫いて欲しい。
3時、熊本市内のシンポジウム会場に到着。県民の会の人達が受付で忙しそうに動
き回っている。西田さんの顔も見える。我々は一旦控え室に入って休憩、その間に
会場入り口で「瀬音の森・くまもと」のメンバー安藤さん、琥珀さんと久しぶりに
会う挨拶を交わした。安藤さんの奥さん、友人の波佐間さんと挨拶を交わし、シン
ポジウム会場に入った。
会場では鮎漁師の吉村さんが川辺川ダムの問題点を語っている。吉村さんの語りは
聴衆を引き込む不思議なリズムと説得力がある。子供の頃から川とともに生活して
きた背景がそうさせるのか?球磨川の鮎を守りたいという必死の思いがそうさせる
のか?・・・・
「追い込まれているのは我々じゃないんです。追い込まれているのは建設省なんで
す。我々一人一人が頑張ればダムは止められます。頑張りましょう。」という締め
くくりの言葉に思わず涙が出そうになってしまった。
そして、シンポジウムが始まった。パネラーは中村議員、ビデオジャーナリストの
神保さん、日本湿地ネットワークの山下さん、水俣の原田先生の4人。そして司会
は県民の会の中島さんが担当した。それぞれの立場で川辺川を熱く語ってくれた内
容は公式に発表されるものを読んでいただければと思う。
現場で聞いていて感じた事は、これだけ多くの人が問題意識を持って行動すれば突
破口は必ずあるのではないだろうかという事だった。中村議員が「上流、中流、下
流の流域が一つになって問題をもう一度見直す時期に来ているのではないか?」と
訴える。「弁護士、学者、専門家を仲間にして戦略的に戦おう」と山下さんが吠え
る。原田先生は水俣の経験から「学者としてどう応援するのが効果的なのか・・」
と淡々と語り、神保さんは「個別撃破の建設省の作戦は着実に進行している。」と
クールに分析する。
その後の会場との質疑応答は熊本市民とパネラーの交流の意味もあったのだが、た
くさんの手が上がり司会者が対応に苦労する程だった。続いて、空港に行く時間を
気にしながらの公開記者会見。熊本日々新聞、朝日新聞、フライデー他のマスコミ
が中村議員を中心に質疑応答をする。
それを聞きながらあらためてこの3日間の内容の濃さを思った。これからこの経験
をどう人に伝え、どう自分で動くかという大きな課題も背負ったような気がする。
ともあれ、今まで文字でしか知らなかった人や事や風景に色と動きと音がついたの
は間違いない。自分の中でいきいきと事象が動き出している。
この三日間で川辺川ダム反対を間違いなく体験したのだ。
出来る事から始めよう・・・あとはまた明日から