瀬音の森日記 95
小菅村漁協での放流と忘年会
1999. 11. 27
F木さん、わたるさんと3人で昼食を食べに行く。今日はこれから漁協の放流を手伝う
のだ、体力を付けておかなければならない。食べ終わって漁協に行くと、すでにライト
ブルーのジャンパーを着た漁協の役員が揃っている。軽トラの荷台に乗り込んで養魚場
に行き、魚を詰めたタンク車を受け取って川へ向かう。
タンク車から10センチくらいに育った稚魚を網ですくってバケツに移し、川に運んで
放流する。稚魚はこの川の水で育てられたヤマメとイワナで、バケツから川に放される
とサッと流れに消えていく。このまま元気に育てば春の解禁時には釣り人の竿を絞り込
むくらいの大きさに育っているはずだ。
上流から下流へ移動しながら次々と放流していく。途中、山の畑に出ている五頭のニホ
ンザルを見つけた。サル達も冬を前にして食料を探しに畑まで出てきたものらしい。シ
ャツやズボンに草の実をいっぱい付けてバケツを持って河原を歩く。晩秋の川は厳しい
冬を前に、しばしの暖かさを漂わせている。
キャンプ場で休憩していた若いカップルが放流作業を見にやってきたので手伝ってもら
う。女の子が「きゃ〜わたし生きてる魚に触るのはじめて〜!!チョーカワイー!!」
と叫べば、彼氏は「そんなに遠くに放らなくても近くに放せばいいんだよ〜」と余裕の
の助言をしている。若い二人にとってこの放流は良い思い出になった事だろう。こうい
う事で小菅村のファンが増えてくれればそれに越したことはない。
わたるさんは発眼卵の放流に向かった。軽トラの荷台で寒そうにしている姿が印象的だ
った。発眼卵は二万粒ほど放流したそうだ。寒い中、支流に入り込んでの放流作業は大
変だったと思う。お疲れさまでした。
午後5時、放流は無事終わった。そして、6時から広瀬屋旅館で漁協の忘年会があると
のこと。ひとまず解散して、再度6時に集合する事になった。広瀬屋旅館は新しくてき
れいな旅館だ。わたるさんと私はこの旅館に今夜泊まる事になっているので、漁協の皆
さんが集まるまで宴会場で待っていた。宴会場にはすでに人数分の御膳が並べられてい
て、参加者が到着するのを今や遅しと待っている。
6時前に役場のK藤さんが来た。F木さんもやってきた。そして、堀江渓愚さん、スポ
ニチのW林さんもやってきた。漁協の役員も次々にやってきて、それぞれに挨拶を交わ
し、席に着く。席の譲り合いをしながらも自然と席が決まって、落ち着くところに落ち
着いていく。この辺のバランスと調整がなかなか面白い。
忘年会は古菅組合長の挨拶で始まった。いつものように訥々と挨拶をする組合長。そし
て順番で自己紹介が始まる。わたるさんが2番目、私が3番目。瀬音の森が小菅村と今
後も長いおつき合いが出来るようお願いした。拠点をF木さんの山林に決めて、多くの
人に小菅村の良さを伝えていきたいと話した。
堀江渓愚さんからは、キャッチアンドリリースの成功に満足する事無く今後も積極的に
魅力ある川作りに努力して欲しいという漁協へのお願いが話された。他にもこれからの
小菅村をどうしたいのかといった熱い言葉が続いて、漁協役員の皆さんもしきりに頷い
ていた。
一通り挨拶が終わると、乾杯があって宴会モードに突入。いろいろな人が来て、いろい
ろな話をした。瀬音の森が何をやっている団体で、どう小菅村と関わり合っていくのか
という話が続いた。瀬音の森という団体が小菅村に対して何をやってくれるのか?と興
味深く見つめられているようだ。
おいしい料理を食べながら話が弾む。さっそくスギの間伐材の搬出をやってくれないか
というような申し出があったのだが、さすがに素人の集団なので、とりあえず遠慮した
。山の手入れならいくらでもやる場所はある。ただ、自分たちがボランティアとして出
来る範囲の仕事を楽しみながらやるのが一番だと思うので、すぐに本格的な林業の手伝
いは出来ない。ここで、経験を重ねて、実績を見てもらった上で、少しずつ手を広げる
事しかないのだ。せっかくの申し出だったが、お断りするしかなかった。
にぎやかにカラオケが歌われ、鍋料理の湯気が漂い、タバコの煙りと楽しそうな笑い声
が充満している。忘年会はとても楽しいものだった。
さあ、来年からいよいよ山作りだ・・・あとはまた明日から。